昨日の昼休みのこと。
突然、女の子が後ろに回ったかと思うと、私の背中に手をかけて、おんぶしてきました。
この女の子は小学六年生。
体格は良いけれど、まだまだ行動は幼稚です。
何の前触れも無くおんぶされた私の腰は悲鳴をあげました(>_<)。
何とも痛い!!
明日からの休日が、楽しくなる為に整骨院で治療していただいた。
夕方にしては、先客の波がちょっとおさまった後だったらしい。
ちょっとの時間に待合室で読んだのは週刊新潮。
ここのコラムが好きなのです。
記事にあったのは、日本人3人のノーベル賞受賞についての私見とありました。
この筆者の私見の視点が面白く興味をそそられました。
アジアの中で、科学者でノーベル賞に輝いた国は日本人が一番多いし、ノーベル賞の受賞者の総数は世界第五位。
中でも、科学的なノーベル賞受賞者はアメリカに次ぐ第二位。
素晴らしい

アジアでは、科学者でノーベル賞に輝いた国は、日本以外ではインドのみだそうで、韓国、中国にはいません。
このコラムニストは、何故そうなのだろか?!と、考えての私見を書いているのです。
ノーベル賞が有色人種に対して門戸が開かれたのは、戦後経ってからのこと。
湯川秀樹博士が最初でした。
それまでも、ノーベル賞に値する科学者は日本人に居らしたんです。
では、ノーベル賞を生む国とそうでない所の背景にあるものは何だろか?!と、コラム。
日本以外の唯一、アジアでの受賞国であるインドの例も挙げて、こう言ってます。
自然の美しさのある所で育ち、自然界との美意識や生活環境にも自然が配慮されている風土をもっていること。
この美意識の確立の大切さと更に、無駄かもしれないけれど、それを認める心のゆとりがある環境が周囲にあって、役に立つかどうか分からないことも、一生懸命やっている人を、それも良いことだと認める環境がある事だと分析しています。
つまりは、効率主義や拝金主義の土壌からは、ノーベル賞は生まれてこないと、言うのです。
日本人が今、ノーベル賞を受賞したのは40年前の教育の現れだとも。
教育は、その時代のニーズを反映したがります。
今のIT化の波に学校現場は乗り遅れまいと必死です。
道具に振り回されて、本末転倒にならない為に。
自然界の美しさの中に隠されている真実を見つけられること。
IT化の中にあっても、子供達に美意識を感じる心を育てる基本は何かと、問い続ける教育現場でなければならないと、私はこのコラムを読んで思います。
もう、40年前の教育者は学校現場には居なくなってしまったのです。
今は、最先端の技術を使って、子供達に授業をすることが求められています。
授業で使われるIT化の中に、真の美しさと言える美意識が生まれないでは困りまする。
映像化で自然界の美しさや映像化で触れることのできる神秘的な世界を見せる道具であって欲しいものです。
子供達の目がキラキラと輝く為に。
決して、黒板に書かれる文字列の手助けに終始するだけの使われ方での、手抜きに終始しないで頂きたい。
手抜きや簡便性から、子供達の創造性は養われないのですから。
子育てもそうですね。
何でもかんでも、即席にはいきませんね。