今日は66回目の終戦記念日。

お盆の送り火の日。

旦那様と行ってきました。


秩父とお墓まいりに。


秩父の長瀞は両親の実家があるところです。


ドライブをしながら、長瀞へ。



嵐山と書いて「らんざん」と読みます。

京都は「あらしやま」ですが。



☆青山航士さんを囲む☆おしゃべり広場
埼玉県嵐山町です。


ここに、歴史の教科書に出てくる武将たちがいます。


一人めは、「坂上田村麻呂」です。


平安時代のはじめの武将です。

「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」って聞いたことありますか!?


田村麻呂は、上の命令を受けて征夷大将軍として派遣されて出陣しているとき、ここ遥か嵐山の地に京都から彼を心配して、

妻子が尋ねてくるのです。

その時、彼は

「天命を受けて出陣しているのに来るとは何事だ。

逢わぬぞ。今より縁を切る。早々に立ち去れ。」と言って追い返したそうです。


双方の心中はわからぬではありません。。

それがここにある、縁切り橋という史跡です。。


蝦夷(えみし、えびす、えぞ)征伐をするために京都から「征夷大将軍」として蝦夷征伐に行く途中の、嵐山での出来事です。


蝦夷征伐をした人!と、聞いたときに、蝦夷を北海道と思っていました。。


『蝦夷は、日本列島 の東方。

北方に住み、畿内 大和朝廷 によって異族視されていた人々に対する呼称である。

時代によりその範囲が変化している。

近世 の蝦夷(えぞ)はアイヌ 人を指す。』ということで。


平安時代は『東北地方』をさしていたんですね。



もう一人は、木曽義仲(きそよしなか)です。


室町時代末期、平家が全盛を極めます。

源氏の棟梁を自認し、平家を討伐するため兵をあげた人たちの中に

「木曽義仲」がいます。


この人は源義仲とも呼びます


義仲は父・義賢と一緒に、ここ(埼玉嵐山町の)大蔵館にいました。

が、

一歳の時に、義朝(頼朝の父)との対立の中で殺されます。

権力争いですね。

そのため、

義仲は長野県南西部の木曽で育てられることになったんです。


※鎌倉幕府を開く頼朝(よりとも)は義仲の7歳年上でいとこ同士です。

義経(よしつね)は5歳年下でした。


1180年4月(義仲26歳)の時、

清盛が強引に安徳天皇を即位させると、

平家に不満を持つ者たちに後白河法皇が「平家追討」を呼びかけました。


これに、呼応したのが源氏の棟梁とその一党。

最後は、弟の義経を平泉で倒した源頼朝が、鎌倉幕府を起こすんですが。




☆青山航士さんを囲む☆おしゃべり広場
この義仲の生まれ故郷は、「さいたまの大蔵」(嵐山町)だったんですね。


木曽とつくから長野の出かと思っていましたが。。

埼玉県の人でした。


この義仲は「旭将軍」と呼ばれています。

平家の大軍を破り、最も危険な仕事を命を懸けてなしとげた人です。


この彼と関係が深いのが、斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)です。

後の「妻沼の聖天院」を開きます。



最終目的!?「天然氷」のかき氷!!

蔵元「阿左美冷蔵」さんです。

10時開店。

15分過ぎて、着いたときには駐車場は満車!


お店は長蛇の列。

渦巻き!!を作っていました。

どこが、先たん??どこが、しっぽ??


ものすごいですよ。

開店2時間前から、並んでるそうです。

これから、2時間!!炎天下です。諦めました。

味!?、聞きましたよ。

「う~ん、2時間待って、旨いかって!?」

「び・みょう~!!」と言っています。




実は、蔵元のお店は2軒あります。

でもね!!。今日は1軒はお休み!。


どうしても食べたかたら、

長瀞の宝登山前の茶店でね。

「阿左美冷蔵の天然氷」で、「かき氷」出してます。

そこで、いただいても同じじゃない??って思います。

私たち大人なので、今回もやめときます。

天然氷は、幻のままで。。



長瀞と言えば「すまんじゅう」ですね。


☆青山航士さんを囲む☆おしゃべり広場 ☆青山航士さんを囲む☆おしゃべり広場