今日は66回目の終戦記念日。
お盆の送り火の日。
旦那様と行ってきました。
秩父とお墓まいりに。
秩父の長瀞は両親の実家があるところです。
ドライブをしながら、長瀞へ。
嵐山と書いて「らんざん」と読みます。
京都は「あらしやま」ですが。
ここに、歴史の教科書に出てくる武将たちがいます。
一人めは、「坂上田村麻呂」です。
平安時代のはじめの武将です。
「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」って聞いたことありますか!?
田村麻呂は、上の命令を受けて征夷大将軍として派遣されて出陣しているとき、ここ遥か嵐山の地に京都から彼を心配して、
妻子が尋ねてくるのです。
その時、彼は
「天命を受けて出陣しているのに来るとは何事だ。
逢わぬぞ。今より縁を切る。早々に立ち去れ。」と言って追い返したそうです。
双方の心中はわからぬではありません。。
それがここにある、縁切り橋という史跡です。。
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)征伐をするために京都から「征夷大将軍」として蝦夷征伐に行く途中の、嵐山での出来事です。
蝦夷征伐をした人!と、聞いたときに、蝦夷を北海道と思っていました。。
『蝦夷は、日本列島 の東方。
北方に住み、畿内 の大和朝廷 によって異族視されていた人々に対する呼称である。
時代によりその範囲が変化している。
近世 の蝦夷(えぞ)はアイヌ 人を指す。』ということで。
平安時代は『東北地方』をさしていたんですね。
もう一人は、木曽義仲(きそよしなか)です。
室町時代末期、平家が全盛を極めます。
源氏の棟梁を自認し、平家を討伐するため兵をあげた人たちの中に
「木曽義仲」がいます。
この人は源義仲とも呼びます。
義仲は父・義賢と一緒に、ここ(埼玉嵐山町の)大蔵館にいました。
が、
一歳の時に、義朝(頼朝の父)との対立の中で殺されます。
権力争いですね。
そのため、
義仲は長野県南西部の木曽で育てられることになったんです。
※鎌倉幕府を開く頼朝(よりとも)は義仲の7歳年上でいとこ同士です。
義経(よしつね)は5歳年下でした。
1180年4月(義仲26歳)の時、
清盛が強引に安徳天皇を即位させると、
平家に不満を持つ者たちに後白河法皇が「平家追討」を呼びかけました。
これに、呼応したのが源氏の棟梁とその一党。
最後は、弟の義経を平泉で倒した源頼朝が、鎌倉幕府を起こすんですが。
この義仲の生まれ故郷は、「さいたまの大蔵」(嵐山町)だったんですね。
木曽とつくから長野の出かと思っていましたが。。
埼玉県の人でした。
この義仲は「旭将軍」と呼ばれています。
平家の大軍を破り、最も危険な仕事を命を懸けてなしとげた人です。
この彼と関係が深いのが、斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)です。
後の「妻沼の聖天院」を開きます。
最終目的!?「天然氷」のかき氷!!
蔵元「阿左美冷蔵」さんです。
10時開店。
15分過ぎて、着いたときには駐車場は満車!
お店は長蛇の列。
渦巻き!!を作っていました。
どこが、先たん??どこが、しっぽ??
ものすごいですよ。
開店2時間前から、並んでるそうです。
これから、2時間!!炎天下です。諦めました。
味!?、聞きましたよ。
「う~ん、2時間待って、旨いかって!?」
「び・みょう~!!」と言っています。
でもね!!。今日は1軒はお休み!。
どうしても食べたかたら、
長瀞の宝登山前の茶店でね。
「阿左美冷蔵の天然氷」で、「かき氷」出してます。
そこで、いただいても同じじゃない??って思います。
私たち大人なので、今回もやめときます。
天然氷は、幻のままで。。


