今日も「風と共に去りぬ」のマチネを見てきます。


「地球ゴージャス」ファンの友人ら5人で観劇です。。



昨日、ランチをした友人に話したところ、

彼女は「風と共に去りぬ」の映画が大好きで、何回も見ているそうなのです。


とても気になった、彼女の言葉から、ブログを書きます。


この彼女は7人姉妹の歳のかなり離れた離れた末っ子です。

その彼女の一番上の姉さん(長女)のお話を少し。



お姉さんは、7人兄弟の長女。

「あのレッド・バトラーと私は同じ境遇よ!」と、妹たちに話すそうです。


「どこが!?」と彼女は、聞いたそうです。


「家を守り、両親が亡くなってからのところもそっくりと・・・・。」



他人の私も確かにそう思うところがありました。


この「風と共に去りぬ」の舞台の話をしなければ、実感として伝わってこなかった、彼女の姉さんの生き方。



彼女の姉さんは、戦前生まれですが、れっきとした職業婦人です。

当時、職業婦人の存在はごくごく限られていて、特殊な存在です。


若い時から、足がご不自由です。

たぶん、そのせいもあると思います。

自活できる女性の、パオニアです。

当時、「日本電信電話公社」いまの「NTT」で、電話の交換手をなさってました。

「交換手」ってなに!?でしょうね。。

電話は交換台を通して繋がったのです。

多くの女性がそこで働いていました。


そのため、

日本電信電話公社は当時から女性にとっては働きやすい職場で有名でした。

憧れの職業です。


今でこそ、産休・育休が当たり前の時代です。


当時、教員でさえ産前休暇はありませんし、産後6週間を言い出せず、3週間を頂く方がほとんどです。


なので、子供が生まれたあとの6週間も取れればよいほうです。

これは、校長の度量の深さに比例しました。


張るお乳を宿直室でひっそりと絞って、捨てたそうです。

それができなければ、辞めるのです。


多くの女性が結婚退職していた時代に、私も教員になりました。


その困難な女性冷遇の時代でも、日本電信電話公社は産休と育児休暇3年制度があったんです。


教員の社会では、先輩の女性達が行政に掛け合ってくれていました。

自分たちには、なかった産前・産後・育児期休暇1年間を獲得してくださったのです。


幸い、私はその恩恵にあずかり、二人の子供を産んでも職場復帰できました。


戦前生まれの彼女の姉さんが、恵まれていた日本電信電話公社に勤めていたとしても、今の女性の困難さの比ではないと思います。


その妹の彼女が、この「風と共に去りぬ」を姉さんと見てこようかしら!と言ってくれました。。



今日の観劇では

彼女たちの思いや、きっと同じように苦労された諸先輩の女性たちも、代表して見てこようと思います!!


映画と違うのは、『最後に希望がしっかりと見えるところです。』

時代ですかね。。


家族の幸せのため、社会の健全なあり方のための舞台です。

「風と共に去りぬ」は。