この度の震災を「末の松山 」にみて

~「かるたの世界から」の転用させていただきました~。


『ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは



「末の松山」は海岸からかなり離れたところにあるので、「波が越える」は「あり得ないことが起きる」、すなわち愛が破局することを意味しました。』


松尾芭蕉も1689年に「おくのほそ道」の旅で塩釜の宿から「末の松山」を見物したとあります。


この短歌は西暦990年頃までの「清少納言の父」である清原元輔の歌です。

今から、ちょうど1000年位前です。


今回の震災は1000年に1度の大災害と云われます。

その根拠がこの歌にあります。


この歌は、愛の契りでありながら、この時「大津波が今の宮城県松島」を襲っていた事実も詠んでいるのです。

そして、多賀城の「末の松」までは、波が押し寄せて来なかったことを。


多賀城市は宮城県のほぼ中央に位置し、仙台市のベッド・タウンです。



松尾芭蕉が「奥の細道」への旅を決意するのは、今の東京で「振り袖大火(八百屋お七)」など、災害が起きて、住まいが無くなった後のことです。


人間の歴史を思うとき

1人の寿命はせいぜい100年。

1000年も前のことなど忘れてしまいます。


私たち日本人は、この地で育ちました。


ここ日本をこよなく愛し、暮らし続けるためには、

日本の風土をよく知った先人の知恵を忘れることなく、古典の文学的意味と生活の事実を共に学ばなければいけないのだと、改めて強く思います。


こういうことも、生きた教育として伝えてゆかなければなりません。