ここ数年で一挙に「終活」という言葉が本当によく聞かれるようになりました。
私が行政書士登録の準備をしていた約2年前、ここまでこの言葉が世の中に出回っていたのでしょうか?
人は、自分にさほど興味がないときは、目の前にその事柄や文字があっても、目に留まらないことがありますよね。
仮に目に留まっていても、真剣に考えていないというか・・・。他人事というか・・・。
マンションを購入するまでは、「インテリア」の本には興味がなかったし、宅建の資格は取っていても「第一種低層住居専用地域」がどんな雰囲気のところか、注意して街を歩くこともありませんでした。
それに近いものがあるのか、「遺言書」「相続」関連の本は読んでいましたが、「終活」「エンディング」という言葉は、あまり目には留まっていませんでした。
しかし、開業準備を進めていくうちに、お盆、正月前になると雑誌では、「相続」「介護」の特集が組まれていることに気づき、「終活」という言葉もよく目にするようになりました。
それまで遺品整理というお仕事もほとんど知りませんでした。
祖父母の「遺品」は、「形見、思い出として残しておくもの」「祖父母が買ったものの、真っ新のままだから親戚に差し上げるもの」「捨てるもの」など、叔母が少しずつ、整理していきました。
それに、一人暮らしの別の叔母は、
「自分が亡くなったら、全部、市のごみに出してほしい」
と、まだ子供のころの私に話していたこともあり、親戚が何らかの形で処分、整理するものだと思っていたので、遺品整理屋さんという仕事に気づいていなかったのです。
さて、最近、ある本を読み、
「自分の宝物こそ、処分の仕方を書き留めておかなきゃダメだな~」
という感想を持ってしまいました。
以前、服に整理をしていた私に
「死んだら、一括して全部、捨ててやるよ~」
と言っていました。確かに、洋服類はそうかもしれません。
でも、私と親友の写真とか、SMAPの会報・雑誌、うちの母が現役時代に出張の先々で買ってきてくれたご当地キティの山、ももかっぱのケース・・・これ、正直、私の宝物なのですが、うちの旦那は、処分に困るかもしれません。
写真と、ももかっぱは出来れば棺に、SMAPのグッズはファンで欲しい人がいたら寄付を、ご当地キティは母に・・・と行先を書いておいた方が、私の希望にもなりますし、処分してくれる旦那のためかもしれないな~と考えさせられました。
それと同時に、祖父母が亡くなったころに比べて、ごみの分別処理なども大変になっていること、高齢化で整理する側の年齢も上がっていることや、変に感情が入ってしまってなかなか片付かないよりプロに任せるのも手なんだろうな~とも考えさせられました。
私が旦那のものを片付けるときは、思い出に浸りながら数年かけて整理したいとも思いますが、さっさと1週間ほどで処分している自分がいるかもしれません・・・
