東大の授業とほぼ並行して、行政書士会の後見業務の研修も受けていました。
3月7日に試験を受け、こちらも無事に修了しました。
この間、エンディングノートの必要性も強く感じた期間でもありました。
行政書士の先生からは、被後見人がエンディングノートに「どのようなお葬式にしたいか?」「どんな花で棺をいっぱいにしてほしいか?」など書かれていたそうで、その希望どおりの葬儀を行った体験を聞きました。
(後見業務としては、本人である被後見人が亡くなれば、管理していた財産の整理をして任務は修了となるのですが、このケースの場合、身寄りがなく、死後事務委任契約によって葬儀、納骨まで後見人がするという契約になっていました)
この場合だと、エンディングノートは「自分のため」にも役立ったと言えるでしょう。
また東大の課題の一つで、啓発活動を行った際、私と一緒にセミナーをして下さった方が「エンディングノートは、遺される人のためにある」と紹介して下さいました。
その方の例で
「延命措置をどうするか?と医者から周りに対して判断を求められたとき、延命を選択しても、拒否をしても、どちらにしても周りは後悔する可能性がある。その時、もしエンディングノートに本人が意思表示をしていたならば、これで良かったのだな・・・と少し思える」と。
エンディングノートは、自分のためにも、遺される人のためにも大切だと感じます。
しかし、なかなか自分のことや自分の身内のこととなると、このノートを作成出来ないまま。
東大の講座と書士会の講座が修了したのを機に、記載してみようと思います。