この日のことは、私も鮮明に覚えています。
私は奈良の宇陀市から大阪北部の学校に通っていたので、5時55分に目覚ましをセットしていました。
その目覚ましが鳴る約10分前に、あの日は地震で起きました
宇陀市といえば、三重県に近いところに位置するので震源地からはずいぶんと離れていることになりますが、それでもビックリするくらいに揺れました。
その日は、学校の期末考査があり、まさか兵庫県がそんな状況であるとは知らず、遅れながらに来た近鉄電車で難波まで出ました。
御堂筋線が止まっていて、目途が立たず、その当時、携帯電話など持っていませんでしたから(ポケベルを持っている人がクラスに何人かいた・・・という時代)、ただ試験を受けれないのは・・・と思い、並んだ公衆電話から学校に連絡を入れたら、今日は休校にするからと。
難波から自宅について、テレビを見てびっくりしました。
「まさか、そんな地震が起こるとは・・・」とその時、思いました。
テレビでは長田区のあたりがどんどんと燃えていく様子が報道され、倒壊した阪神高速道路が映し出され・・・。
そして、その地震で、就職内定先から「採用中止」の連絡を頂くことになろうとは
そして、2011年3月・・・。
「まさか、そんな地震が起こるとは・・・・そして津波の恐ろしさ・・・」失礼だと思いますが、テレビで見ていたら、映画の世界のように思えてしまい、本当に「ニュース」なのか?何度も疑いました。
あれから18年、阪神間は、正直、「すごいな」というくらいに街は新しくなり、あるところでは、コスモスがたくさん植えられていて「きれいな」と感じてしまうところがあります。
でも、そこには、倒壊した建物等を整備し、地すべり等で大きな被害を受けた地域に花を植えられていたりします。
再建された街の裏で、尊い命がどれだけ奪われ、どれだけの人が家族・友達・恋人など大切な人をなくした悲しみにくれ、家も、働く場所もなくしたか・・・ということを決して忘れてはいけないと思います。そして、ずっとそのことに悲しみや傷をもって生活されてきた人、それでも復興に向けて頑張ってきた人を忘れてはいけないと思います。
阪神大震災・東日本大震災の被災者の方にお悔やみを申し上げますとともに、一日、一日、今、自分が生きていること、「普通」に毎日が送れていることが幸せであることを再認識し、明日からも頑張っていきたいと思います。