「おっちゃん」の家は、山奥にあります。
農作物を「いのしし」から守る対策をしなきゃいけないほどです。
毎年、この時期に新米を届けてくれます。
スーパーで買った「新潟産コシヒカリ」より、そして、母たちが取り寄せて買っているお米より・・・
どこよりも美味しいのです。
おっちゃんの家は、寒暖の差があるので、お米には適しているのだと思います。
さて、15キロと書いた袋にパンパンに入ったお米の上に
キッチンペーパーで大事にくるまれ、ときに、電球の箱に入れられて
毎年、大事そうに、置かれているものも届きます。
おっちゃんの山に自然に生えた、これぞ天然「マツタケ」です。
最近は、本当にマツタケも取れなくなったそうです。
気候が以前とは変わってきたのも原因だそうです。
でも、新米が出来上がってから、ずいぶんと探し回ってくれたそうで、ようやく見つかった!
と言ってくれていました。
それと、とってもホクホクで甘いさつまいもも頂きました
母の「いとこ」にあたる人が、私にここまでしてくれるってあるでしょうか?
実家にいたときなら、ともかく、私が結婚してからもずっと、お米や野菜を送ってくれます。
おっちゃんには、昨年、残念ながら、亡くなった奥さんがいて、私は、おっちゃんには当然ながら、おばちゃんも、すごくありがたいな~と感謝していました。
だって息子さんも娘さんもいるのに、
「いや~、気を遣うことはないで~!おっちゃんは、○○ちゃんのことが娘より可愛らしい言うて、
送るんやわ。忙しいのに礼の電話なんかしてこなくてええのに、美味しいうちに食べや
」と昨年の今頃まで、おばちゃんまでこんな感じでした。
普通、姪でもないのに、かなりの送料をかけて、米やら野菜やら送ってくれる親戚ってあまりないと思います。
それを文句言わないで、むしろ
「米、また無くなったら電話したらええよ」
と(したことないですけど、さすがに)、言ってくれたおばちゃんの存在もすごいものだと思います。
私は、まだ、たかだか38歳です。
でも、自分のしてきたことは、いつか自分に跳ね返ってくるのではないか・・・と思います。
私は、このおちゃんに何かしてあげたことはない・・・。
なんでここまでしてくれるのか?とおばちゃんに聞いたことがあり、
「おっちゃんは、アンタが素直に心からありがとうって喜んでくれるのが嬉しいからって
」と言っていました。
でも、そんなに「ありがとう」と言いまくったわけでは、ありません。
去年、お米が届いて、お礼の電話をしたのが、おばちゃんとの最期の電話となりました。
10日後くらいに急に持病が悪化して亡くなりました。
この時ほど、「いい人ほど早く逝く」と悔しく思ったことはありませんでした。
今日、おっちゃんにお礼の電話をしました。
おっちゃんも一人暮らしを初めて一年です。
「おっちゃん、無理しなや~。いくら早くおばちゃんに会いたくても、ちょっと早いからな」
「よく言ってくれるわ。あと10年ほどは会わなくてええわ」
とはいえ、山奥で、主婦業もしなければならなくなった「おっちゃん」。
私に何ができるのだろうか・・・。
私は、父がいなかった分、周りの色んな人から愛情をもらっていたと思います。
下手に両親が揃っていた方が味わえない愛情を頂いたと思います。
今、その人たちに何ができるのだろか・・・・。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
という学生時代に聞いた聖書の言葉がよみがえります。
家族だけが支えあう時代ではない世の中。
いやむしろ家族だからこそ、起こる甘えや摩擦、遠慮。
少し離れた関係だからこそ、できる何かがあると思っています。
