こんばんは💛
岐阜県恵那市に住むchiexこと原田千恵子です。七匹のヤギと山里らしのリコネクションプラクティショナーです。
いつもブログをたずねて下さり有難うございます。はじめて訪れる皆様。ご縁に感謝いたします。私は源(真の自己)への再結合~リコネクション、心身霊のバランスをとるリコネクティブ・ヒーリングを提供しています。
前述の投稿のつづき
【オールド・ドバイ(旧市街)に滞在】
彼らを見送ってからの残り一週間。
私と桃子さんだけのDubai旅がはじまりました。
Dubaiの中心部だったエリアから、今度は旧市街(オールド・ドバイ)という言われる地域に宿をとることにしました。
今思えばこれが最善の選択でした。
まるで対極の世界を体験しました。。
こんな風景のニュードバイから
こんな感じのバスタキア地区(旧市街)へ
ドバイの人口の90%は移民~近隣諸国からの事業者だったり、出稼ぎ労働者。その割合はインド人が半数以上。
ついでパキスタン、アフガニスタン、バングラディシュ、イラン、サウジアラビア、エジプト、レバノンなどの中東諸国。大半はイスラム教徒。
出会った中にはフィリピンやマレーシアの方もいました。
国策として60歳以上には就労ビザを発行しないんだそうで。。移民も含めてこの国の平均年齢は25歳ぐらいだそうです。
そして残り10%は「ローカル」と呼ばれるもともとの住民。彼らは国から手厚い待遇(住まい、土地、仕事)を受けているそうです。
日本も外国人移民が増えてはいるけれど、Dubaiの比ではないですよね。。まさに多様性のなかに飛び込んだ私たちです。
【Dubaiの若者に観る多様性】
友人を介してInstagramで友達になったS君と終日過ごしました。
お互いのこと何も知らないのに。。
親子ほど、それ以上に年が離れていても
何故か天が引き合わせてくれました。
彼は社会人二年目。生まれはレバノン→サウジアラビアに移住し、そこからDubaiに家族と移住。かれこれ18年。家ではアラビア語。Dubaiではフランスの小中学校に通い、大学はイギリス。
四ケ国語を話す彼は、小さい頃から日本のアニメに夢中になったそうです。彼の愛車でドライブしたのですが。車内では日本のアニメソングのオンパレード。
藤井風くんも知ってました。「死ぬのがいいわ」が一番好評だとか
車のなかで「あいみょん」のマリーゴールドを聴くことになるなんて。。
藤井風くんも知ってました。「死ぬのがいいわ」が一番好評だとか
車のなかで「あいみょん」のマリーゴールドを聴くことになるなんて。。彼とカード交換。。
【平和という言葉の重み】
印象的だったのは、彼の一言。
僕はDubaiが好きだよ~~。だって平和だし。安全だもの。
そうなんだ。。。。。安全❢ 平和❢ 日本に住んでいれば自覚さえしなかった言葉でした。
私の知ってる限りの中東の歴史~~数々の内戦~~(レバノン紛争やアフガニスタン紛争など)を思い出しました。。不安定な政治的環境~その中で生きてきた彼らファミリーの変遷に想いを馳せました。
アラブ諸国~イスラム教の圏内とは言え、国により習慣や文化はずいぶん違うと言います。言語にはその国の文化も孕まれているけれど。。
彼はたくさんの文化も言語も宗教も混在しながら多様性を受け入れて生きている。彼の中で統合され一つのアイデンティティになっていると感じました。
夕陽がみたいという私たちのリクエストに応えてカイトビーチまでドライブ。アラビア海に沈む美しい夕陽を観ながら海を超えた出逢いに感謝でいっぱいになりました。
夜は一緒に中華のお店で夕食をして、私達のホームステイ先まで送り届けてくれました。御礼に遠隔リコネクティブヒーリング
たった一人の若者と過ごした一日だったけれど、彼のなかに沢山の移民~移住者の姿を垣間見たような気がします。。
終日、彼と共に過ごして私の中の古い観念が揺さぶられアップデートされている。近いうちに日本に旅行したい~というS君。
恵那岩村を是非、案内することを約束して別れました。
【旧市街の気さくな人たち】
旧市街はかなり広いエリアですが、この運河(クリーク)沿いにかつて町があったそうです。。
アラブ首長国連邦の7つの首長国のひとつドバイ首長国。この国は建国50年のお祝いを迎えたばかりだそうですが。。。
その50年前は、あるいはそれ以前は、この運河の周辺に人が住み
魚を獲ったり、真珠を養殖して売ったりしていたそうです。。日本の真珠養殖に押されて衰退したそうですが。。。
たった50年。ものすごいスピードでDubaiが造られていったんですね。スロー・スモール・シンプルの真逆を歩んでいる。。
その当時の暮らしを再現したり歴史がわかる観光施設もありました。Dubai博物館。一番行きたかったのですが。改修工事でしばらく休館でした。。残念。
そんなわけで、私たちは自分たちの足で歩けるだけ歩いて。。
この町の空気、風、人、風物を感じてきました。メトロの駅の3駅ぶんぐらいは歩いたなあ。
船(アブラ)で運河の対岸に足を延ばすと、スパイス・スーク&ゴールド・スークがあります。
スークとは市場のこと。私たちはスパイス・スークを歩き回りました。
どのお店の売り子さんたちも、にぎやかに声をかけてくる。
私たちも、そのたくましさを少し頂き、お客としてたくましく(笑)値切り交渉。。。店員さんはみんな移民。アフガニスタン、パキスタンなど。
【運河に観る風景に感じる懐かしさ】
スークよりも、私はかつての古い渡し船(アブラ)に揺られて、カモメが飛び交う風景と、Dubaiの風を感じているときが「至福」でした。
それは人間の原風景。私の子供時代も海辺だからでしょうか。
人は、水(ここでは海)無しには生きられず、水(川)のそばで、海のほとりで、その恩恵と共に命を繋いできたんだと思うからです。
運河が見えるオールド・ドバイ。ここに滞在していて良かったなあ。
他の日は、デイラ地区ではなく、バスタキア地区をぶらぶら。。
対岸のスークと違って、こちらのスークは大人しく静かで「どうぞご自由に」という感じでじっくり探索できました。
どこでも見られる「お祈りの部屋」の案内板
たまたま立ち寄った土産物屋のお兄さんが、とっても気さくで、ジョーク連発。笑い声が響き渡ると、近所の土産物屋からも、面白がって店員さんたちが集まってきて、ジョークの渦に入りました。
笑うことって言葉以上に心が緩みます。
みんなアフガニスタン系の移住者でした。。彼らの一人が「記念に一緒に写真を撮ろう」と。。こんな決めポーズになりました。
下の写真の人たちは、目と目があったらニッコリ笑いかけてきて、そこから会話がはじまりました。
エジプトとスーダンの二人。友達同士だと言います。
仕事が終わって国に帰るのだとか。。
【あなたもわたしも異邦人~混然一体当たり前】
他にもバングラディッシュからの移民のお兄さん、パキスタン。中でもカシミール地方出身(カシミールは長年紛争が続いているエリア)者で単身で出稼ぎに来ている方は、国に残してきた家族の写真をたくさん見せてくれました。
家族に仕送りしているんですね。
移民のなかでも一番人口が多いと言われるインド。旧市街にはヒンズーの寺院や、インドの小学校もありスクールバスも走っていました。
ガネーシャなんて懐かしい。
この日はヒンズーのお祭りだったみたい。
そんな旧市街では、どのレストランもたいていインド、中華、アラビアが混在したメニューでした。。
私はミールスやマサラドーサなど南インド料理が大好きだったので
連日、同じようなメニューに大満足です。
しかも、友人が食べているミールス↓は12デルハム(日本円にして約400円)ぐらいでコスパ善しです。
Dubaiの中心部のレストランに比べたら5~10分の一ぐらいの安さです。(ライスおかわりもあります)
インド料理の専門店の前ではこんな即興ライブも披露していました
町を歩けば、色んな国の人々が、移民労働者がひしめいている。
観光客はほんの一部。
ドバイだけどインド
ドバイだけどイラン。
ドバイの中にインドもイランもパキスタンも混然一体として在る
そんなフィーリングが伝わりましたでしょうか。そう。
みんな異邦人。90%が異邦人なんです。
「ちょっと振り向いてみただけの異邦人♪♪」(古い歌が脳内リフレイン)
もう混然一体があたりまえ。。
一緒に生きていこうよ。ともかくここで。
そんな感覚を旧市街で感じました。
名前を忘れましたが。この楽器。
弦が一本だけなんです。。 砂漠の民が弾いていたそうです。
ちょっと触らせてもらいました。
一本なら弦の調律もいらないでしょうね
そのときの乾燥状態、自分の感覚、弦の張り具合。。それをすべてあわせて即興で奏でるのでしょうか。。
一本の弦
一弦から一元(one)を想起してしまった私です。
もう一度Dubaiに行く機会があれば、旧市街をもっと探検してみたい
そして、砂漠だけでなく山岳部にも行ってみたいな。
アラブ首長国連邦の一つの首長国アブダビ。ここには
シェイク・ザイ―ド・グランド・モスクがあります。。ここにはミラクルなご縁で連れていってもらうことになりました。つづく
アブダビ編。つづきをお楽しみに
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私は米国リコネクション®本部認定
リコネクションサーティファイドプラクティショナーです。
岐阜県東濃地方ではchiex恵那岩村サロンのみがリコネクションを提供しています。
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