先日、ある方の投稿で
あれ?と感じて
お天気の事でした。
「今日はマイナス10度以下になるらしい。」
その数字があり得なかったので
自分でも調べて
それは違うな…と思ったので
コメントしようと思ったのですが
そこについているたくさんのコメントが
肯定的で
頭から信じていて
誰も異議を唱えることがなかったので
ここで違うと言うことを言うのが
すごく勇気の要ることだと感じました。
結局その時はコメントせず
ご本人が間違っていたと言う投稿を新たにして
「誰か指摘してよー!」とおっしゃったので、
そこで初めてコメントしました。
異議を唱えるのが難しい世の中です。
私は、間違っている事は間違ってるよと言ってほしいし、自分も言わないと気がすまないタイプなのですが
現在は
なるべくそういう投稿はスルーするしかないなと思うのです。
これがおとな?
でもよく考えてみると
間違った情報を広めないようにするために
本当のことを言うのは悪いことじゃないはず。
だけど
あれだけ皆さんが頭から信じていると
言いにくくなりますね。
特にフェイスブックは知り合いの集まりなので、反対意見を言う人は少ないと思います。
でもそれっていいことなんでしょうか?
以前、知人が同僚に忠告された話をしていました。
「〇〇さんは良かれと思って注意するのでしょうけど、嫌われますよ。
嫌われるの損じゃないですか。
嫌われ役やらなくていいんですよ。」
SNSだけじゃないですね。
とにかく今は異論反論異議を唱えるということが批判に捉えられてしまう世の中だと感じます。
別に否定したがってるんでも
戦ってるんでも
マウントを取りたいわけでもないんですけど
ねぇ、それっておかしくない?
と気軽に言えない世の中…
そんなことを考えるときに
こんな記事を見つけました。
【人間は相手になんら責任を取らなくてもよいときであれば、いくらでもやさしい言葉を並べるし、大した裏付けもなく楽観的観測を述べたりする。
それで相手が変な方向にのぼせ上がってしまおうが、現状に満足して停滞してしまおうが、極言すれば「知ったことではない」からだ】
優しいってある意味冷たい。
褒めることしかしない仲なんて
嫌だな。
たいして似合わない服や
イマイチな写真を
似合う!すてき!かわいい!
みたいなコメントばっかりもらったら
逆に疑ってしまいます笑
とりあえず自分の周りには
本当のことを言ってくれる仲間がいて
自分がわからないことや気づいてないことを指摘してくれて
私自身がそれを受け入れるような間柄の信頼関係があります。
私が親友と思える人は
自分の本音を言い合える人。
その関係があることを大切にしたいと思うのです。
というわけで
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