数ヶ月前
電子書籍の出版サポートを受けていました。
10人ぐらいの方とzoomで先生の
講座を聞き
グループになってディスカッションをしたり
知らない人たちと何かを学び
何かを考えたり話すと言う時間

とても新鮮でした。
自分のことをよく知る時間になりました。


そういえば、何かを学びに上京し

初めて出会う人たちと

何か1つの目的に向かって時間を共にする時

いつも感じていました。


私はすぐに人に覚えられます。

名前と顔

どこから来たとか


覚えられるからといって、

仲良くなれるわけでもなく


覚えられている、と言うだけです。


私から見ると

みんな元気がなく、表情がないように感じるんです。

警戒してるらしい


私は人の話を聞いて面白いと

すぐに笑ってしまうし

すぐに表情や声に現れてしまい

私が考えてることってすごくわかりやすいと思うんです😅


でも、皆さんの表情はわかりにくい。


私のことを受け入れてくれてるのかどうか

表面だけでは全くわからない感じです。



ズームで知らない人たちと話をしてそんなことを思い出していました。


私は知らない人の話でも

初めて会った人の話でも

すぐにびっくりしたり、笑ったりしてしまう。

そこで何か気づきがあるとかに

「あぁそうか!」

とか声を出してしまう…



よく、人は鏡と言いますが

同じ顔が映るのではなく

相手の無表情を見て

自分の笑ってる顔に気づくんです。


皆さんが笑ってないのを見て

自分が「は!」と感じることが多々あります。








最近つくづく思うのですが

私は人慣れしすぎました。

初めて会った人でも

何の抵抗もなく話ができるし


緊張する事はほとんどないです。


特に自分のクラスに来てくださる方は、

もう数千万年前から知り合いで久しぶりなだけでしょ?くらいの感覚で

ふつうに話しかけてしまいます。


特に

毎年次々といろんなチャレンジをしたことによって

私の枠はずっと広がってしまったようです。


たいていのことが怖くない

人との垣根がない。

緊張しない。

むしろ

行動できないことが怖い。

そんな感覚です。


知らない人がたくさんいる事は

ちっとも怖いことではなくなりました。




真逆な反応をされても

反論されても

人は鏡です。

私を映す鏡


私のことをよく教えてくれます。




無人島にいて

「私はきっとできる」

「たくさん練習したから大丈夫」

なんて言っていても


何も現実化しない。


そこに人があってこそ

誰かの存在があって

反応があってこそ

挑戦していく意味があると思っています。


ひとがどう思うかの恐れより

自分に興味があるんです。




わたしは

わたしを

もっと知りたい




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