カウンセリングを勉強して
カウンセラーがたくさん生まれたように

スピリチュアルを学ぶ時代が来て

やがて
アートを学ぶようになるって

昔聞いた


ほんと、そうなってる。

果たして  どれも
学ぶものなのか?


旦那さんとクリスマスパーティーを
開催しました。

ゲームやダンス
寸劇なんかで
皆さまを楽しませたくて。


とはいえ
私たち実は大した打ち合わせも
してなくて

なんとなくのストーリーと
結末なんかを話し合ったの
当日の数時間前

「こんな感じでいこう」



寸劇の最中
旦那さんが何を言い出すかわからないから
良く聞いて
自分で考えて返事して

まさにライブのやり取りでした。

ここに「正解」は
無いのですよね
同時に「間違い」や「失敗」も無いんです。



そういえば
今年はそれを何度も感じていたのに
見ないようにしてきたのかな。

例えばKayoちゃんとコラボした
クリスタルボウルとダンスのイベント


Kayoちゃんが鳴らす音に
反応して動く

わたしの動きに
Kayoちゃんが音を合わせてくる

これ
ものすごく楽しかった。

いま
この瞬間
何が起きるかわからない
ヒリヒリ感と

相手のエネルギーを感じることに
集中することと

自分の中に起きる欲求と

アクシデントみたいなこと。


それらのライブ感が
全部作品になること。






そうそう
そうして

鹿角Niaを主催してくれていた
みなこちゃんが(みなこちゃんブログ

舞台で踊るようになって
こんな投稿をしていた



表現したいのは

いま だ

いま どんな事したいのか

いま 何を思っているのか

いま は消えてなくなる

そのとき あらわさなければ

どっかにいってしまうのだ

それは

周りに惑わされてたら

すぐ色あせる

没頭あるのみ

そこには

恥は存在できない

恥はあとからじわじわとやってくるのです

それもぜんぶ

わたしのもんだ




2人でデートして
たくさん話をして

あ、私が思いつくままバンバン
話していたんだけど笑

わたし、上の↑
みなこちゃんの投稿に
いたく感動して


そうなんだよー
つまりさ

表現したいものが
常にある人は

練習とか
勉強とか
資格とか
迷う暇とか
躊躇する時間なんか無くて


とにかく出さないと

出さないと消えてしまう!
という

焦燥感が常にあって

それはある意味辛い。




だって

常に生まれ
常に死んでいく

常に見えてるの
みすみす見送っているのだから



エネルギーの
ゴミみたいなものに溢れてしまう





時同じくして
「まつろわぬ民」
というミュージカルを観た。


ゴミ屋敷が舞台

ストーリーをうまく説明できないんだけど


ゴミ屋敷は
エネルギーの塊だった。


ゴミと呼ばれるものは
みんな実は魂が宿っていて
くすぶって そこに溜まっている



ゴミ達が叫ぶんだ


ゴミじゃねー!


ゴミじゃねー!


ゴミなんかじゃねー!


エネルギーは出さないと
ゴミ   みたいになる。



それが実は
根底の悲しみにある、と
知ったのは


こんな風に
今年後半次々に体験した

「ライブ」からだった。





昔はね
憧れる先生のように
「だれか」のようになりたくて

一生懸命練習したよ。


毎日毎日
練習したの。



でも
最後にいつも
虚しさが残った。




常にあったのは





これは

わたしなのか?



本当のわたしは
ひとり



そこに
失敗も正解もない


私のエネルギーを
私だけの形で出したい。


やりたいことが
どんどんはっきりしていく。


みなこちゃんは絵でも表現する



わたしだけの
かたちで

瞬間瞬間
出すんだ。




ああ
ここまで長かった…