常に考えてる…わけではないのですが
ときどき思い出す
というか
確認するんです。
私は差別が嫌いです。
ひとは一人一人違う
そこに高い低い
良い悪いは無くて
「違う」ことに対して
扱いを変えないこと
私自身は差別された事なんかなくて
なにかそれで
辛い思いをしたわけでもないのです。
だからこれは
魂の記憶なのかもしれません。
子供の頃から踊ることが好きで
バレエも習ってはいましたが
金銭的な理由で
バレエも習ってはいましたが
金銭的な理由で
発表会に出ることができず
バレエ教室に通ってはいるけど
私は私独自の楽しみ方をしていたように思います。
バレエの振り付けで
白鳥習う
ジゼル習う
バレエ教室に通ってはいるけど
私は私独自の楽しみ方をしていたように思います。
バレエの振り付けで
白鳥習う
ジゼル習う
いつ産まれてどういう内容で
何を表現しているものか
書いた人によって解釈も違うので
読めば読むほど面白くて
図書館に行って調べては
子供だったからコピーとか取れなくて
自分で映して書いて
それをファイルにして
書いた人によって解釈も違うので
読めば読むほど面白くて
図書館に行って調べては
子供だったからコピーとか取れなくて
自分で映して書いて
それをファイルにして
分厚いレポートができたりなんかして
古くからの踊りの原点や
古くからの踊りの原点や
その成り立ちを調べる事は
世界を旅しているような感覚になりました。
しかもただ海外に行くだけでは無く
(行ってませんがw)
古い時代にも行けるのです。
タイムマシンに乗ったかのように。
(これは行ける)
1人でそんな旅を楽しめる
踊るだけじゃなくて
舞踊と言う物の歴史を
学ぶのが好きでした。
そうしているうちに
1つのテーマに気がつきます。
差別から生まれた舞踊もある。
1つのテーマに気がつきます。
差別から生まれた舞踊もある。
虐げられた心の闇から
解放へ向かう
どんな過酷な状況でも
人は自分で
闇の中から
這い出してくることができるのです。
その道しるべになったものが舞踊でした。
またアフリカだろうと日本だろうと
裸足で太鼓で輪になって踊る。
そこになになにダンスと
そこになになにダンスと
分ける意味もなく
実は全ての踊りは繋がっていて
根っこはひとつなんだと気づいたとき
私は〇〇ダンスを習う
という区切りをつけられなくなりました。
もちろん好き嫌いはあるけど
かかる音で踊れる人になりたい
好きな音があったら
それで踊れる人になりたいと
思うようになりました。
私にとって
ジャンルわけをすることさえ
差別になりました。
私の講座に参加してくれた
旦那さんが言ってました。
「一緒に踊ると
心の距離がぐっと近づくよね!」
あーそうか!
たしかに
生徒さん同士がとても仲良くなります。
お互いの素性を知らなくても
講座が終わるころ
急に仲良くなって
連絡先交換したりしていて
一緒に踊っても
普通のダンス教室
いわゆる上手に踊るテクニックを
教えてくれる教室では
こうはいかないのです。
ずっと通ってるのに
名前も知らない人も
居たりするもの。
国や土地によっては
お客人が来ると
踊りや歌で歓迎したりします
その輪に入って踊ると
喜ばれます。
踊ることは
扱いを変えないこと
差別をなくす事の一歩に
使われています。
言葉がないコミュニケーション
私が創りたい世界
みんなが尊重されて
自分を卑下しないで
自分の輝きを
表現できる世界
身体を動かして できること
魂の旅は
まだ始まったばかり





