先日出席したパーティで
右隣の私の旦那さんは
忙しくお酌に回る中
左隣の男性が
サラダをお皿に取って食べていました。
パーティで
男性が
自分でサラダを取って食べているのが
なんとなく珍しくて
(他の男性はサラダをあまり食べていなかった)
「野菜をとるようにされてるんですね」と
声をかけた。
一回りくらい年上の
その男性は
少し照れながら
「いやーうちでは野菜をあまりとらないものですから
こういうところでくらいは」と
おっしゃいまして。
うんうんと相槌を打ちながら
家で野菜をとらない
イコール
独り暮らしかなと
勝手に推測してましたら
少し間があり
「三年前、妻に先立たれまして」と。
ああ、そうなんですねと
返しました。
その方のところにも
私のところにも
お酌にいろんな方が立ち寄る中
私のちっとも減らない
ビールのグラスを見て
「奥さんは、違うものがよいのじゃないですか?
ワインとか」と
言われたので
ああ…と答えかけたら
サッと席を立ち
飲み物を取りに行ってくださり
ワインが無かったと
焼酎の水割りを持ってきてくださいました。
年上の知らない男性に
飲み物を持ってきていただき
恐縮しながら
丁寧にお礼を言って飲むわたしを
嬉しそうに
眺めててくれていました。
子供の話や日々のことを話し
流れで
「ご病気だったんですか?」と
聞いたら
「ペースメーカーが止まりましてね」と
下を向いて
そうなんですか、と
しばし沈黙
「家では飲まないんですよ
だから今日はいっぱい飲みます」と
笑顔を見せてくださいました。
パーティも終盤
会場のお花を持って行ってくださーいと
アナウンスがあったら
その男性は若い人に指示をして
私に花束を
用意してくださいました。
綺麗に咲いて居ます。
この花を見ながら
ぼんやりしていた先日
不意に
言葉が来たんです。
主人の作った水割りを
飲んでくれて
ありがとう
あ!
と、声が出て
涙がポロポロって
流れて落ちた。
ああ、そうか
私に水割りを作ってくれた
あの方は
毎日
毎日
亡き妻に
お水を
お茶を
供えている
その男性の姿が
私の脳裏に浮かんで
わかるんです
わかります
愛する人に
してあげたいのに
もう
してあげることができないこと
いくらお水をあげても
減ることがないこと
喜んで欲しいのに
もう
それを感じることができないこと
私の父は
母にプロポーズするとき
こう言いました。
「俺を看取ってください」
母はそれを使命としていました。
使命を遂げた母は
ひとりになり
寂しいながらも
言うんです。
「ちえこ
男の人より
先に逝ったらいけないよ。
男の人を
一人残してはいけない。」
どっちが先に逝ったって
残ったら寂しいじゃないか
寂しいのは誰でも嫌だよ
って返したら
「同じじゃない!
男の人はひとりにしたら
かわいそうなんだよ」
と、きつく言われた。
複雑だ
会うは別れの始まり
愛すれば愛するほど
別れは死ぬほど苦しいだろう。
それなのに
人は寄り添う
私たちの命には
それぞれの期限があり
必ず別れが待っている。
別れがわかっているからこそ
毎日何かをしてあげられることを
喜んで生きていける。
私が入れたお茶を
飲んでくれる人がいる。
出したご飯が
食べられて
お皿が空になる。
全てが 当たり前じゃない。
家族に
パートナーに
手がかかったものを作って
食べさせて
美味しいね
良かったね
ありがとうって
言えること。
その
夢のような日々は
いつか必ずいつか終わる。
私たちは今
夢の中にいるんだ。
夢が終わったとき
今のこの時を
どんな風に思い出すだろう。
私は日々
悔いがないように
愛したいと思っています。
生きて行くとは
笑うばかりではない
ぶつかり
言い合い
訴え
受け止め
慰め
労わり
安らぎ
楽しむ
それらの全てを
愛する、ということだと。






