アスリートだった旦那さんに

スポーツの辛い練習や

お仕事でのきつい訓練を
どうして頑張れるの?って

聞いてみたら

こんな答えが返ってきた。

「もうひとりの自分が見てて

誉めてくれるんだ」って。





すごいなあ~
こんなに頑張れる

いや
もっともっとできるよって

もうひとりの自分が言ってくれるんだって。

へえ~

いいなあ~

そんな自分
欲しいなあ


大体が

本当に頑張って誰に誉められたいか

誰に認められたいかって言ったら

自分なんだよね。

きっと

他の誰に認められなくても

自分が認めてくれたなら

一番満足できるし

力強いだろうと思うんだ。

私にももうひとりの自分の存在はある。

でも

もうひとりの私はなかなか誉めてくれないんだ。

いつも難しい顔をして

首を横に振る。

踊っても
歌っても
舞台に出ても
作品を創っても

一度も誉められたことがなかった。

誉められるどころか

なじられたりしかられたりする。

それくらいしかできないの?

まだまだだなあ

全然だめだね

もうやめなよ

いい加減にしたら?



そんな風にさえ言われてしまう…

だからなかなか自信がつかないんだよね。



どうしてもうひとりの自分は誉めてくれないか考えたら

知ってるからなんだよね。

努力が足りないことをさ。

もっともっと練習する余地があったのに

やらなかったことを
だれより知ってるからなんだ。

旦那さんのもうひとりの自分は知っていたんだと思う。

彼が
どれだけ頑張ったかを。

極限まで頑張って
頑張って頑張って

それを認める自分があって

もっとできるって励まされて

少しずつ
あるいは飛躍的に
極限が伸びていく。


私は
自分が上手になる演技するという目的では

踊ること
歌うこと
振り付け

どれも頑張れなかったんだ~


ダンスを体操に変えて
自分のためじゃなくみんなのためという
対象を変えたら

集中力が変わったんだ。

みんなが楽しくなるためにというテーマは

わたしの頭を常に支配した。

いつもいつも考えて
より良い方法を作り出すことも

苦もなくできるようになった。


それはなんでかっていうと

成果がわかりやすかったからだ。

旦那さんのスポーツの勝ち負けのように

目に見えてはっきり成果が出る。

みんなが楽しそうにしてる顔や

声や空気

参加する人数

頑張った成果があった。


自分がいい仕事ができたときは
みんなの笑顔が教えてくれるんだ。

振り返るとたくさんの笑顔。

私の中の私はなかなか誉めてくれない代わりに

みんなが喜んでくれた。

力になった

勇気になった


だからこの仕事が私を助けてくれたんだよね。


なかなか自分を誉められない私には

周りにあった優しさが力になりました。


先日

久しぶりに「ぼんけ」に行きました。

坊主頭のマスターが

いろんな助言をくれるスナック


私に出されたカクテルは紫

「まーだまだ考えすきだものなあ

頭でばっかり考え過ぎなんだよ!

もっとシンプルになってみろ」


そうだよねえ
そうなんだ~

もう何回も言われてるんだけど

くよくよ
うじうじ
あーすればよかった
もっとこうすれば

もっと
もっともっと
うまくできなかったか

あのときの自分の言葉はどうだ

説明はどうだ

あれでよかったか?


あーでもない
こーでもない

いつもいつもそんな思考だよ。

相変わらずだなあって

苦笑いした。


でもマスターが
最後にこうも言ってくれたんだよね。

「でもな

ちえちゃんみたいにそうやって

悩みに悩むから

誰にも得られない気づきがくるんだよな


それがあんたなんだよ」



そうなんだ…


もっと楽に生きられるよ

楽になる方法はあるの

知ってる



でも嫌なんだ

もっと
もっと

苦しいけど

もっと
もっと


すると私から

深い言葉が出てくる

考えたんじゃなくて





どこからか降ってきたみたいな

どこからか湧いてきたみたいな

ダイヤモンドみたいな言葉が

みんなに届く


あちこちで頷いて

あちこちで目がキラキラして

講座を終えた頃みんなの表情が輝いて


来たときよりうんといい顔になる




わたしだからできることを

心を込めて



これからも。