私が講師の仕事を始めた頃

約10年前

私は夫の店を手伝いながら

イベントダンスの振り付けを指導したりしていた。


ダンス教師であった若い頃の経験のまま

公民館から依頼が来て 体操教室の講師になってしまった。

自分の身体が良く動いていたし

片田舎の高齢者が多い体操教室などわけない・・・などと思い

簡単に講師を引き受けてしまった。



で、始めてみたら  びっくり

え?なに? これも あれもできないって

どういうこと?

なんでできないのかわからない

ちょっと待て

これってどういうこと?


自分が当たり前だと思ってることが

人には当たり前じゃないのだ

当たり前にできる・・・という

スタートラインがみんな違う


じゃあ どこから教えたらいいの?




私の講師経験は そんなところから始まりました。



自分は見たら動けるタイプ

身体も固くなかったし

動くことにさして苦労したことが無かったので

動けない人の気持ちがわからない



できるって事と

教えるって事は

こんなに違う




慌てて高齢者運動指導員の資格を

講師になってから取りに行く始末



その高齢者指導員の講師をしてる先生が

やってる教室にも勉強に行った

お年寄りの中に混ざって

健康教室を受けたりした。



その中で 講師が年配の方々に向かってこう言ったんだ

「自分のお尻を 自分で拭けなくなったら嫌でしょう!?

だからしっかり今のうちに身体を鍛えて

動けなくならない様にしないとね!」



それを 生徒のひとりとして聞いていたわたしは


そのとき




わたしはこんな講師にはならない  と

誓った



例え何歳でも

運動しに来るという前向きな行動をしてる一人の人間に対して

自分でお尻が拭けなくなるとかいうことでなく


毎日を楽しく生きるための運動をするという

前向きな時間にしてほしい・・・と

はっきり言って

そこに来て初めて使命感がぐつぐつと湧き始め


あたしは体操講師になるのよーーー!と

急に勉強 し始めたのでした。




勉強プラス観察

人の動きを見る 

人の身体を見る

人の性質を見て


どういう言い方が的確なのか

どう言ったらわかりやすいのか

わからないポイントはどこなのか



自分が当たり前と思っていたことが

当たり前じゃない


その人が理解できていないこと

気づいていないことを見つけ

わかりやすく説明するために

言葉を尽くす


私が立ち向かったものは たまたま「カラダ」という

誰一人同じものは無いという代物で


でもこれが本当に面白い代物で

まさにこれは

神様が創った芸術品で


正解も間違いも無ければ 良いも悪いも無い



どれも これも 愛すべき存在でありました。




これはどうしてこうなってるんだろう

どうやったらよりよくなるんだろう



指導するって言うより

一緒に感じる時間




その人にとっての「わからないこと」を

その人の目線で考え感じて



その人にとっての有効なアドバイスができる







:*:・( ̄∀ ̄)・:*:そういう講師になりたいなあ。。。