東京行きで中断していた読書継続中


ノートルダム清心学園理事長渡辺和子著 

「置かれた場所で咲きなさい」



     人は病気や 大切な人の死 仕事や 人間関係において

    「喪失」を味わうこともある



    ぽっかり空いたその穴を 埋めることも大切だが


    その穴から見る  と言うことが

    生き方として大切





・・・・・とありました。





ぽっかり空いた私の穴は

「自分自身の喪失」でした



人に合わせすぎて 自分を無くしました



無視された自分が 猛反撃を起こした それこそが

うつ病  でした




自分自信を失った

魂の抜け殻みたいになって

毎日家で寝てました



天井を向いたまま

身体のどこも悪くないのに

自分で動かすこともできずに

目の玉さえ動かせません



いや  正しくは「動かせない」んではなく

「動かす 意思が無い」のです



ここでこうして寝ていたいわけではないのに

動けない




そうやってただ寝てるだけの毎日に ある日

雨音が聴こえてきました




外は 雨

地面をたたく雨の音が耳に入ってきただけですが

そのとき

私は 心にぽっかり空いた穴から

自分の姿を見たのです




私は 道端に転がってる 石っころでした



雨が降ってきたら 打たれるしかできない存在です

ざぶざぶ振ってくる雨の音を聴きながら

目の端からは だらだらと涙がこぼれました



所詮わたしなんか 道端の石と同じ




死にたいと言うよりは

消えてしまいたい



雨に打たれてこの身が削れて

解けて流れてしまえばいいのにと



そんな風に思っていました



でもそれは今思えば






私の人生の 起死回生となるのです







そのうち 雨は止みます




雨が上がって お日様に当たれば

もうびしょぬれではなくなり


その辺の人の足で蹴られて

または無邪気な子供の手によって



私は川を下り


海に出るときを迎えるかもしれません




雨が止むのも

太陽が乾かしてくれるのも

動けるようになるのも



全ては 自分の力ではなく


神のみぞ知る




私は 生かされてる自分に気づくことになります






私が病の力で むりやり寝かされ 雨の音を聴かされ

そこから 自分で


穴の中をじっくり見た


穴を埋めることは考えず


とことん向き合った



そこから学んだことは




「謙虚であれ」  ということだったような気がします。




ぽっかり空いた穴を

ざっくり開いた傷口を



凝視することはとても辛いことです




でも  そこから逃げないで

向き合えたら 向き合っただけの

学びがあります



戦うべきは 他人ではなかったのです






渡辺理事長も

50歳のときに「うつ病」を患った とありました


『この病の辛さは、多分かかったものでなければわからないでしょう』と

ありました



どんな病気でも

かかった者にしかわからない辛さがあります


その時に出会ったお医者様によって


「この病気を 私自身が必要としてる恵みをもたらす穴と受け取りなさい

という意味だと」感じたそうです。





物事が悪く運ぶときが 「不幸」なんではない


そこから何が受け取れるか

そこからが 人生の始まりなんじゃないかと


感じたりします





ぽっかり空いた穴から



道端に転がる 石っころな自分を見ることができたわたし




たくさんの人の手によって


ころころ ころころ




どこかへ向かい始めています





どうか


その出来事を 「不運」だけに留めてしまわないで





あなたに空いたその穴から


見えるものをしっかりと受け止めて



それはとっても 辛く苦しいことかもしれないけど




あなたにはできる


あなたにできるから 起きたこと




転んだら 立ち上がれ


頑張らなくて良いから





負けないで