神様は  与えることしかしない


欲しいなんて言わない お金を欲しがる神様なんて  本物じゃない


子供の頃   布団に入ったら  胸で手を合わせて  こう言っていた


「私の中の 私の神様 今日も今日をありがとうございました


今日もお父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟と私を 守ってくれてありがとうございました。


明日も楽しくみんな幸せに  暮らせますように」


毎日  毎晩の  私の日課


小学生の頃 姉の友達のおうちに  姉と遊びに行っていた


たまたま  その家が  教会で 私は洗礼を受けた


神父さんと一緒に  冷たい湖に入って お祈りを聞いた


頭の先まで入るのが怖くて泣いたら 神父さんはずっと抱きしめてくれていた


薄いおせんべいみたいなものと  金ぴかなグラスに入ったお水を飲まされた


賛美歌は好きだった


賛美歌は  学校で習う歌とも  TVで流れてる歌とも違う


歌うと 空気がきれいになる気がしていた


子供たちが声をそろえて歌うと そこらじゅうがキラキラした


空気が  すーーーっとしたよ


私は小さい灯  光りましょう 私は小さい灯  光りましょう 光れ  光れ  光れ


嵐が吹いても  光りましょう   嵐が吹いても  光りましょう 光れ 光れ  光れ


子供のときに一番好きだった 歌


振りも覚えてる


嵐が吹いても  のところでは フッて吹くんだよね


単純な歌詞なんだけど 歌うとなんだか不思議と気持ちが変わって


今居る場所が  わからなくなったりした


あれ? 私 今どこにいるんだっけ?   みたいな・・・・



いつくしみふかき ともなるイエスは つみ とが うれいを とりさりたもう こころのなげきを つつまず のべて などかは おろさぬ おえる おもにを


こうやって聞くと  イエスは カウンセラーだったのかもしれないな


なんてね


あの頃  神様と私の距離はものすごく近かった


近いというより 今よりはっきり知っていた


私に中に  居るんだ  ってこと いつも一緒にいるんだなって


だから  悪いことはしない 誰も見なくても  しちゃいけない


悪いものは 入ってこない 私に中には 神様がいるから


はっきりそう思っていた


いつからだろう? 寝る前に  お祈りをしなくなったのは


大きくなる間に  いろんなことに傷ついて 神様を信じなくなったのだろうか?


神様にお祈りしたら  お礼を払う


お供えをする


あの作法でこうして祈らなくちゃいけない


何回お辞儀して  その前にはお清めして


そうしてそうして  神様はどんどん遠くなる


でも本当は   それは間違ってるはず


間違ってるはず なのに   なぜ従うのだろう?




9日に  神人さんの講演会に行ってきました


神人さんのお話から  自分の子供の頃の姿と重なって懐かしかった


そうして 神様は神棚に居ない  


神社に居ない


そういうお話を聞いて


そうだよね   って納得した


卑弥呼は  人間だよ


アマテラスは  卑弥呼だよ


どうして  空に太陽が出てるのに


わざわざお金や時間をかけて  遠くに太陽の神を拝みに行くの?


そんなお話しもね ああ やっぱり 子供のときのほうがよくわかっていたんだなって


あの時にもどろうって思いました


私の中にいる 神様のところに戻るんだ


神様を思う気持ちは  もっともっとシンプルであるべき


どこか遠くに祈るんじゃなくて


ここにいる この心に祈るのだ





私の子供のときからのお祈りは 私のオリジナルでした


毎晩毎晩となえた  言葉は 自然と湧いてきた気持ちでした




今思い出しても


「今日も  今日を  ありがとうございました」って



いいなあって思うんです。



そういう気持ちで  生きなくちゃ ああ  




うれしい 今日があって  嬉しい  って。