今日は自分と他人の境界が、実は曖昧なんだよっていうお話。
自分と他人の境界はどこ?って言われても、当たり前すぎて返答に困ると思う。
私は私だし、他人は他人。
見たらすぐにわかる。
でも、見えない部分では、そんな簡単に割り切れない。
赤ちゃんは最初、他人との境界がないらしい。
目の前の人が悲しそうだったら、悲しくて泣くし、お母さんが楽しそうだったら、赤ちゃんも笑う。
他人事が自分ごと。
そのうちだんだんと、他人との境界が明確になってきて、今の僕らみたいになってくるのだけれど、その名残は間違いなく今の僕らにも残っている。
本を読んで、ドラマを見て、自分のことじゃなくても、感情移入をして泣く。
自分のことじゃないのに、嬉しくなったり悲しくなったりする。
これは現実世界でもそうで、「自分ごとのように喜ぶ」って言葉があるけれど、まさにその通りだと思う。
他人が嬉しいことが嬉しい。
何でって言われてもわからない。
理屈はわからないけど、とりあえず、喜んでいるのを感じて嬉しい。
逆に友達が悲しんでいる時は僕も悲しい。
つらい話を聞いて、自分のことでないのに共感して泣き出してしまうのはよくあること。
こんな感じで、他人と自分の境界は心理面だと、実はとても曖昧。
人になにかをして、喜んでくれたら不思議と自分も嬉しい。
「情けは人のためならず」は我が家の家訓。
情けは巡り巡って自分に返ってくるっていうのが本来の意味だろうけど、実は情けをかけた瞬間に、もう返ってきている。
ただ、心にゆとりがないとこれは起こらない。
他人が喜ぶことを感じる余裕すらなくなってしまうから。
自分の周りの人たちが幸せで、それが感じ取れたら、自分も幸せで、だからこそ皆が幸せになって…
そんな風になれたらいいなあ。