不登校関連のブログ。私はなぜか読めなくなる時期がくる。それも定期的に。
なんでやろ?って漠然と思っていた。
だけど最近「もしかして?」と思い始めていたことがある。
それはいくら「大丈夫」という言葉が
ブログ上に溢れていても
無意識の気持ちは輝かしい未来や成功に向いているのを感じてしまうからなのかも。
助けたい。
今はこんなに苦しくても
いつか〜
その何気ない言葉は、そこを通り過ぎてきた私にはなぜか引っかかっていた。
無意識に動けることを「光」として捉えている気がする。
光を作るから闇が出来る。
現状を否定している。
すいません、助けてもらわなきゃいけないんですね。
すいません、大変そうな状態で。
すいません、今はこんな感じで。
「まず、お母さんが楽になりましょう」
え?お母さんを苦しめているのは私?
どんな今も受け入れる。
立ち止まっていた「かわいそうに見える時間」
そこに光があることに気がつけば闇は消える。
光と闇は裏表。
















禅の世界では、良い悪いも、光も闇もなく
全てを統合することを目指す。
私は逆に
「私の不登校の経験は結構素敵やねん!」と思っていたところがあった。
だけどこれは、立ち止まることに光を当てているだけ。その意識さえも邪魔だと思う。
良いも悪いもない世界。
禅の世界観。
私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。
ーー略ーー
「不生不滅・不垢不浄・不増不減」の空の価値観に立つおおらかな心のことです。
自他の距離と境界を越えるには、自分自身を空しくすることです。
この「禅の教え」はとてもわかりやすく書いてくださっていると思います。
生まれもせず、死にもせず、
汚れもせず、清らかになりもせず、
増えもせず、減りもせず、
ただただ、永遠のいまにありつづける。
そこにはただあるだけ。














そこに光がある
この言葉が欲しかったのかもしれない。
正すものも、救われるべきものもそこにはない。
どんな状態もその人の学び。
人に意識を向けるより
自分に意識を向けていきたい。
皆が自分に意識を向けた時
そこには「ただあることが許される世界」が広がる
のかな?とか、思ってみたりしてぇーー
いや、私もまだ修行中♡
揺れながら、迷いながら生きてます。
壮大な実験をしながら
自分の納得出来る道を探りたいな。
ということで
やっと子育てブログから卒業できるわ。
ありがとう、t-ladybug さん


ついでにストックしてた記事もまとめて出しときました。
出そうか出すまいか、迷っていたけど
何も考えずにGO!!
これできれいになりました♬
