私の中の心の声が「逃げよう。」と言ったときに、
私の心はとても冷静で澄みきっていました。

「そうだ、逃げよう。」

言葉に出してつぶやいたら、腹は決まりました。

すぐに立ち上がってPCから離れ、
朝早かったため寝ている夫を起こしに行きました。

夫はすぐに目を覚まし、ニュースや原子力情報資料室などの情報を見てから、
「そうだね。逃げた方がいいかもね。」
と言いました。

そうと決まったので、子どもたちも起こし、
持ち物を用意することになりました。
きっと逃げる人が多くて、渋滞になるだろうから
なるべく早く出よう。
お弁当も作ろうと家族の分のおにぎりやおかずを作りました。

そして、校長と学年の先生の携帯に電話をしました。
留守電になっていたので、メッセージを入れました。
「申し訳ありませんが、やはり逃げます。
辞める覚悟でいます。」
この言葉を言いながら、自分で言った言葉なのに、
「え? 辞めるの? ほんとに?」
と思っている自分がいました。

どれだけ他の先生方に迷惑をかけるかはよく分かっていました。
でもそれでも逃げようという気持ちはぐらつきませんでした。
非常事態だと思っていたからです。
この原発事故で日本が壊れるかもしれないぐらいに思っていました。
金融機関もストップするかもしれないから現金をたくさん持っていこうと思っていました。

車には着替えのほかに、水のペットボトルやカセットコンロ、
寝袋まで積み込みました。
最悪の場合、野宿になるかもしれないと思っていたのです。

さあ、出発です。
次にいつ帰れるか分からない。ひょっとしたら帰れないかもしれない。
原発がすぐにおさまるか、またはひどくなる、そのどちらかだと思っていました。
まさか、そのままズルズルと放射能を垂れ流すことになるとは思っていませんでした。

車の旅はとても順調でした。
心の中には学校を気にする大きな錘がありましたが、
その一方で突然訪れた家族旅行を楽しむ気持ちもありました。
また、ものすごい恐怖感からやっと逃れられた開放感も味わっていました。

東京を抜けると、心底ほっとしました。
途中、校長とは何度か携帯電話でのやりとりをしました。
怒るどころかこちらの心配をしてくれていました。

とりあえず、大阪に行こうと決め、夕方になって着いたら
まずはホテルを探しました。
そして、情報を入手するため、ヨドバシカメラでノートパソコンを買いました。
大阪の街は、やはり原発事故の緊迫感がありました。
単1の乾電池はやはり在庫切れでした。

せっかく大阪に来たのだからと、
お好み焼きやたこ焼きを食べました。
食い倒れ人形も「お見舞い申し上げます」と
看板を掲げていました。

その夜は、ホテルだというのに、朝までぐっすり眠れました。
放射能からとりあえず逃れられて、心底ほっとしていたのだと思います。

ちょうど1年前の3月16日のできごとです。


・・・3・11を振り返って④へ続く予定です。

読んでいただきありがとうございました。


今日の夕飯
ヒエを使ったそぼろ丼にしてみました。

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