涼しいですー!
毎日が、これくらい温度だと良いのですが。
 
今回のリブログは、新米社長さんのブログからです。
 
とても大事だと思ったので、残して置きたいと思いまいまして。
 

 

 

 

 

 

母が腎臓がんで余命も宣告されて、亡くなる三か月前頃から入退しておりました。

 

母は、「治療はしない、痛みが出たら痛み止めだけを」と医師に頼んでおりました。

 

死を覚悟しているのですから治療は不要なんですが、病院からしたら「わがまま」だったんでしょうかね。

 

食欲がないという事で、それはそれは、甘党の母でさえ「不味くて!」という缶入りの飲み物を進められておりました。

何十本か入りの物を一箱です。

 

「チー、一本 持って行って飲んでみろ、凄い甘さで飲めないんだよ、こんなの買わされて!」と嘆いていました。

 

飲んでみましたが、濃い砂糖入りミルク、そう、コンデンスミルクのような味でした。

ガンは甘い物が好物だと聞いていたので、「ガンに餌を与えているんだ、この病院は」と思いました。

 

当然、点滴もしておりました。

多分、ぶとう糖液だったんだと思います。

 

「抗がん剤治療はしない」という事を頼んでいたのですから、病院がすることは、点滴と痛みを止める湿布薬を脇腹から背中に貼ることぐらいです。

食事も出されておりましたが、末期ですので殆ど食べずです。

そしたら、あの缶入りの甘い飲み物を「どうぞ!」という事なんでしょうね。

 

母は飲んでなかったです。

 

それで最後は、ガンでと普通の人は思いますよね。

死因は誤嚥性肺炎だったそうです。

 

「何も食べてないのに、吐いた? 誤嚥性肺炎?」疑問でした。

これを読ませて貰って、納得しました。

 

叔父は母が亡くなってから、「同じ市内の○○病院では、最後のほうは、一日ウトウトしている薬を与えて置くんだそうだ、姉ちゃんも、そこの病院だったら、あんなに苦しんで死ななくて良かったんだよー!」と、私に言いました。

 

長姉には言えなかったようです。

家からの近さという事で、母と長姉で決めた病院だからです。

 

色々問題の多かった母ですが、叔父から見れば、たった一人の姉だったんですよね。

病院の対応に不満だったようです。

 

何時も近場に住んでいてくれて一番近い存在の叔父でした。

 

これを読んでくれた方々は、この事を是非覚えておいたほうが良いですよ。

 
私も「母さんが、もっと年老いて動けなくなり終末期で食べられなくなったからと、点滴をしないように、点滴をすると痰がからんで余計に苦しむのだから」と息子に言っておかなければ。
 
私は47歳でうつ病と診断されて、何十年間、ずーっと「死」の事ばかりを考えて生きてきました。
 
あの頃は、辛かった!
 
今は、「死」の事を考えない訳ではないですが、何とも気持ちが楽、トンネルを抜けた感じ。
抗つ薬も体から、すっかり抜けた感じがします。
 
その時が来たら、枯れるように静かに逝きたいです。
 
 
 
 
それじゃ、来て下さってありがとうございます。
また来て下さいねー!