こんにちは~。
今日は広島原爆の日です。
1945年、(昭和20年)8月6日、午前8時15分の出来事でした。
3000度の熱線で、35万人が犠牲になったと言われているそうですが、はっきりとした数は分からないんだそうです。
この原爆の事を描いた、世界の片隅でというアニメ映画を観ました。
胸が詰まる思いでした。
核は、エネルギーとしても、当然兵器としてはもちろん使用してはいけないものだと思います。
台風のせいでしょうか。
息苦しさが日に日に増していきます。
脈拍数が130を超えると、何もしていなくとも疲れるんでしょうね。
夜中に度々目覚める事も手伝ってか、日に何回もウトウトします。
このためにベンゾジアゼピン系の抗不安剤、メイラックスを飲まされたんですが、それでも、季節の変わり目になると起こるこの状態は十何年も続きました。
ましてあまり効果もなかったのに、季節関係なく今は離脱症状で、前にもまして苦しいです。
でも、生きている。
私の心臓は強いんでしょうね。
焼き場に立つ少年の続きですが、当時のおんぶひもが、当時は普通のひもが多かったそうです。
そうでした、私も子守で従妹を随分とおんぶをしましたが、ただの長い布切れでした。
しっかりと縫われたおんぶひもで留め金がついていること、履いているズボンが都会的であることなどから、疎開していた家族ではないだろうかと推測されています。
少年の向かって右側の土地の境界線の印がコンクリートである事から、被爆した直後のではないと判断したことが書かれていました。
また、この写真を見た医師は、少年の足、背中の幼児の足も浮腫んでいることから、被爆による病と考えられました。
唇の血は被爆による病いから、鼻からの出血であまりに力を込めて口を結んでいるので、下唇で止まって乾いている状態だったのではないかという事が書かれていました。
名前も出てきたのですが、今日は、疲れが酷くてごめんなさい。
今晩、雨が落ちて来たら、子の息苦しさから解放されると思います。
じっと寝ているのも、色々考えてしまって辛いので、ブログを投稿しました。
空き家になって、主の居ない家でもしっかり家を守っているかのように咲いています。

ご訪問ありがとうございました。
また、お立ち寄りください。
素敵な夢を


