





こんばんは~。
今日の埼玉は、とても過ごしやすかったです。
もう、これから、夏日は無いとの事ですので、衣替えがやっと出来ます。
前回、免許を取った話に、なりましたので、その時期の事を書きたいと思います。
あの頃は、免許を取るためには自分の年齢分の、お金が係ると言われておりました。
免許が取れる頃は、多分35歳頃だろうと思い、40万円を目標に。
仕事は、直ぐ上の姉の紹介で、姉の会社の内職をすることにしました。
コアに銅線を巻き付ける作業で、とても、単価の良い内職でした。
あの頃に、月、3万円を平均して働ける内職は、とてもいい方だと思います。
内職も、お兄ちゃん達の時もですが、幼稚園、保育所に入れるように成るまでは、紳士服のまとめやさん(背広の手まつり等)
スカートの留め金付け、、色々としましたが、一番、働けた内職でした。
私が、銅線を機械で巻いていると、それを見て、母が「器用だなぁ、よく、そんなにきれいに巻けるもんだよ」と言っておりましたが、ちょっと手元が狂うと、同線が綺麗に並んで巻き付かないのです。
凸凹ですと、ビニールテープを巻いて、また、別の太さの銅線をまくのですから、綺麗に仕上げないとダメんなんです。
それが前の方が、凸凹に巻いて来る方がいるんですよね。
そういう時は、後の人が、苦労するんです。
内職した品物は、電気部品ということ以外は、何なのかは、今でも分からないままです。
働く方は、パート並みに働いておりましたよ。
もう家で、これだけ稼げたら、外に出て、他のパートさんに気を遣って働くなんて出来ないとまで、言う方が居たくらいです。
私は、子供が小さく、手が係るので、そんなに出来ませんでしたが、保育所に、三男を預けられるようになってからは、月、三万円は働けました。
教習所に通うための資金が貯まるまで、二年近く係ったでしょうか。
三男が保育所には入れなければ、お金が貯まっても、教習所は無理だったでしょう。
無事、在職証明書を頂き、保育所に預けることが出来ましたので、心置きなく教習所に通う事が出来ました。
私は、その時、34歳、三男が3歳でした。
続きは、後日に。
読んで頂きありがとうございました。