ミツバチにお尻を向けられちゃいました。

 

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ベランダで、福島のはこべを植えています。八代目くらいです。
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テントウムシの幼虫かな?
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子どもの頃から、東京に向かう時も、田舎に行く時も、夜行列車でした。
私は、環境に影響を受けやすくて、そうゆう時は、いつも、到着するまで、眠れないので、必ずといって、着いてから、寝込む事が、多かったです。
 
東北本線は、昔は上野駅の、13~14番線でしたでしょうか。
あの頃、井沢八郎さんの歌が流行しておりました。歌は。好きなのですが、あの夜のホームが大嫌いでした。
 
母の処に引き取られてからは、お盆と正月には、必ずに、母の実家に帰りました。
 
昼働いて、その晩に、出発します。今のように、背中のもたれの部分が斜めではありませんし、直角の硬い背もたれでした。
 
居眠りをしながら、揺られてゆくのですが、中には、新聞を敷いて、座り込む方もおりました。
 
着いてから、母と祖母が、いろんな話をし終わったころに、丁度、私が回復し、あちらこちらの親戚にの家に行けるのです。
 
ある時、私を一番最初に、預かってくれた、義叔父さんの家にも、行きました。
義叔父さんの趣味は、山の鳥を、飼育することでした。
義叔父の家にいる時は、私も、すり餌などの手伝いをしておりました。
 
帰りに、義叔父さんは、私に、メジロを一羽をくださいました。
家に無事に着いた時には、ちゃんと生きていたのですが、夜行で帰って来たので、私が寝込んでしまったのです。
 
母の再婚相手の連れ子さんに、お金を渡して、餌をお願いしましたが、遊んでいて、忘れたと、お金を返してよこしましたが、次に日に、メジロは死んでいました。
 
私は、泣くだけ泣いて、一番、気に入っているハンカチに包んで、三日ほど懐に入れて、学校まで持って行っておりました。
4日目に、とうとう、母に叱られて、庭にハンカチに包んだまま、埋めました。
 
その時に、私は、動物は、死ぬから、もう、絶対に飼わないと言ったそうなんですが、結婚してから、沢山、動物を飼いました。その時の気持ちを、人は、忘れるんですねぇ。 軍鶏まで飼っちゃいましたー!(#^^#)