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小学四年の夏が終わり、郡山から、父と継母と3人で、東京の板橋区に移り住みました。
 
普通の民家の二階が、借家に成っており、継母は、看護婦として働きに行き、父は、何処に働きに行っていたか、聞いていません。
 
私たちは、学校にも行くこともなく、姉は、大家さんの奥様が体が弱いということで、家事の手伝いをして、給金を貰う事に成りました。
 
父は、よく、夜中に、呑んで返ってきました。そこで、また、夫婦喧嘩になるのです。
 
有る時、継母は、怒りながら、わざと鍵を閉めて、寝てました。
父が玄関のドアをたたく音がし、継母は無視し、姉は、継母が止めるのも聞かずに、鍵を開けようと、階段を降りて行こうとしました。
 
父のこういった行動は、度々でしたので、継母は、相当に怒っていたと思います。
腹が立たない訳が無いですよね。自分の子でも無いのに、働いて養って居るんですから。
 
姉の名前を呼んで、「行くんじゅないって言ってるでしょ!」と、転がした丸いちゃぶ台が、姉の背中に当たりました。
普段から姉は、継母に反感をもっていて、とにかく継母の言うことはきかなかったです。
 
次の瞬間、父が屋根を登り、窓から入って来たのです。
私は、ビックリして、継母にしがみつきました。
 
父は、鍵を閉めた事、姉にちゃぶ台をぶつけた事にたいして、怒り、継母は、呑んでいる場合ではない事の言い合いになりました。
 
大喧嘩もおさまり、しばらくして、又、夜逃げです。
下板橋から上板橋か、反対だったかも知れません。
 
何処からか、父はリヤカーを借りてきて、荷物を積んで、パンをかじりながら、夜中に、ひと駅間を歩きました。
 
そして、新しく借りた部屋は、二部屋あり、私たちは、父母と別々に寝る事に成りました。
 
有る日の夜中に、ぼそぼそと話し声が聞こえました。
私たちの名前が出るので、そっと聞きに行きましたら、継母が、私たちを、本当の母親の所へやるように、説得していたのです。「どうせ、女の子は、大人に成ったら、母親の所に行くんだから」と。
 
そんな事が有ってから、数日後に、母が、私たちを、迎えに来ました。
駅で、別れる時に、電車に乗った私たちを、父は、じっと見つめておりました。
 
私たちは、電車が動き出しても、私たちを追って歩く父を見つめておりました。
 
それが、父との暮らし、父の顔が、最後に成りました。
私は、父の顔をまじまじと見て居たはずなのに、父の顔が、未だに、思い出せないで居るのです。
 
次の転居先は、鶴見市場でした。 
 
今日は、大腸の内視鏡検査に行って来ます。