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昨日の続きです。伯父の笑った顔を覚えていないのです。多分、笑わなかったんです。
 
長男の父が出て行き、自身が、あの家を継ぐことに成るなんて考えて無かったと思います。勤め人をしていたんですから。
 
あの日も、気むずかしい顔をしての出勤だったように思います。帰宅しなくなって、二日目に、町の巡査が来ました。
 
義理の叔母と祖母に、何かを話しておりました。
ただならぬ雰囲気が、幼い私にも伝わってきました。
 
叔母は、震えていたように見えました。
それから、しばらくして、リヤカーにのせられて、村の人々によって、伯父を入れた棺が家に運ばれました。
 
私が毎日、拭いていた板の間に、どんどん、葬儀の用意が出来て行きます。
 
祖母が、私に、「おんつぁだよ。こんなに成ってしまった。○○子、最後だから撫でてやってくれ」と言われて、包帯だらけにの叔父の胸の一部分を触りました。
”おんつぁ”とは、方言で、叔父の事を言います。
 
そこしか、肌が出ている所がありません。
茶色の薬を塗られていて、とても硬くて、冷たくて、初めての感覚でした。
腕は、肘の所から有りません。包帯に巻かれて、横に置かれて有りました。
 
頭は、包帯だらけで、1,5倍くらいに成っていましたし、足は、親指が無くなっていて、それを消防分団の方々が拾い集めて、お医者さんが、足に付けて包帯で巻いてくれたそうです。
 
私は、本の中の、ミイラ男ようだと思いました。
棺を開けて、包帯だらけの伯父が起き上がってきそうで、昼も夜も、布団の中で、ガタガタと震えておりました。
 
あの頃は、土葬でした。従兄のK子が、土を掛けられる時に、「父ちゃんが、埋められちゃう! 家に戻れなくなっちゃう!」と、土の中の棺に手を伸ばして、泣きました。K子は、父が死んだ事を理解していたのでしょうか。
 
4歳くらいだったと思います。叔母は、大きなお腹を抱えて、涙を流しながら子供たちの手を握って、それを見ておりました。
 
それから、しばらくして、義理の叔母は女の双子を出産しましたが、一人は、何日かして、亡くなりました。
 
村の人々は、父ちゃんが寂しくて、自分の所に娘を呼んだんだ、などと言いました。
 
祖母は、ボソッと、クズばかり残ったと、言いました。
その中に、当然、父が入っています。
 
行方不明の父には、連絡が取れずに、出席していなかったのです。
祖母の気持ちはどんなだったでしょう。
父を、恨んだでしょうね。
 
私は、そうゆう事から考えると、逆さまを見る事も無く、幸せです。
雨風をしのげて、息子たちに支えられて、願いも叶って高校も卒業出来ました。
 
何より、息子たちが、皆、元気で真面目で働きものです。
息子たちに、ありがとう!
元気な笑顔が一番の贈り物です。