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父方の肉親で、唯一優しい言葉をかけてくれた伯父がおりました。父は8人兄弟の長男でした。
 
母が嫁いだ時には、弟、妹たちが沢山いて、茶碗で、ご飯を食べた事がないそうです。次から次に、お代りを受けている内に、お釜は空に成って、母は、水に付けたお釜の底に残ったご飯粒を、手ですくって食べたそうです。
 
畑仕事をこなさなくては成らない母には、まったく足りない状態で、家の前に有った、イチジクに木に、朝起きたら、いの一番に、その木にたかるようにして、食べたそうです。
 
イチジクって、食べ過ぎると、口角がただれるんですよね。私も成りましたからショボーン 母も、いつもひもじかったと、後に、言っておりました。
 
父たちは、小姑も土地の事やらで、沢山言われ、いたたまれなくて、生まれたばかりの姉を連れて、飯場を、点々として、私が生まれた開拓地に辿り着いたそうです。
 
長男が居なくなったら、次の男子が家に残らなければ成りません。
その伯父に、嫁を取りましたが、そのお嫁さんは、間もなく出て行き、伯父は、何故出て行ったのか、仲人さんに聞きに行ったそうです。
 
返事は、「あの家では、お腹が空いて、私には、務まりません」と言う事だそうでした。
さぞ、悔しかった事でしょう。
 
そして、もう、村からは、お嫁さんを、娶る事は、出来なくなり、ちょっと遠めの村から、嫁取りをしたと、そう、母から聞きました。
 
そういう経緯があったので、祖母に、私が、「○○子、あんまり食うと、馬鹿に成るんだよ」と言われた事に、腹を立てて、「何で、おっ母ちゃんは、そういう事ばかり言うんだ!」 「○○子、うんと食べていいんだよ」と言ってくれました。
 
その後、仕事に出て行く伯父の後ろ姿が、最後の姿でした。伯父は、汽車に乗って町の板金屋さんで働いておりました。
 
三日後に、伯父は、変わり果てた姿で戻ってきました。
終電を逃し、線路を歩いて、酔っていたのでしょう、実地検証では、下駄が線路に挟まり、それを取ろうとして居て、貨物車に跳ねられたとか。
後に、自殺だったのではないかと噂が広まりました。
 
まだ、30歳そこそこでした。現在の平均寿命は、80歳です。余りに短い人生でした。
 
その後、祖母は、80歳くらいまで生きたとか。人の寿命なんて、分かりませんねぇ。祖母は、子供を見送って、長生きして、幸せだったでしょうか。