![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190708/12/chieko43-0705/b8/76/j/o1024076814495682028.jpg?caw=800)
真上からダメですね。勉強しました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190708/12/chieko43-0705/67/1e/j/o1024076814495682036.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190708/12/chieko43-0705/0b/78/j/o1024076814495682045.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190708/12/chieko43-0705/6e/9c/j/o1024076814495682053.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190708/12/chieko43-0705/63/ed/j/o1024076814495682059.jpg?caw=800)
今日は、出無精の私が出掛けます。病院です。
幸手に住んでいた時に、母の住んでる古河の病院にかかり、それから、ずっとその病院にしております。
母は、二年前に亡くなりました。生まれた時から数えて、十年と一緒にいなかったと思います。
小学一年の時に別れ、五年生の時から、二年間位一緒に居たと思います。
母の再婚相手と私は相性が悪くて、胃を病みました。
お互いに、子供たちを捨ててまで一緒に成ったのに、そっちゅう血みどろの喧嘩でした。
母が、殴られる姿を見る事は、辛かったです。私たちからすると、どこの馬の骨か分からない男が、母に馬乗りに成って、殴っているんです。
馬乗りの成っている母の再婚相手を、後ろから刺してやろうと、包丁を持ち出し、両手で握り、ブルブル震えながら、隙をうかがって居た所を、再婚相手の息子に止められました。
あちらからすると、自分の父親ですから、殺されたくないでしょうし、反対に、子供だから、私が、殺されてしまうしまう可能性もあります。
亡くなった時は、不謹慎ですが、「やっと、逝ってくれたか」という気持ちでした。
母は、義父が亡くなって、26年、生きましたが、人相が優しくなりましたよ。不思議ですね、心というのは。
母の近くの病院に通院中にTさんと、知り合いました。
母が仕事辞めてから、病院に入院するまで、ひと月に一度の母と私だけの食事会は、十年以上続きました。
何度か息子に送り迎えをして貰った時に、「お袋、自分の体も大事だから、もう、止めな!。俺だって凄く疲れたよ。お袋には、きついよ。」と言われましたが、短かった母との生活を、取り戻したかったのか、自分でも解らないまま、止められなくて…。
亡くなってからも、母の住んでいた所の、直ぐ傍の道を、通って病院へ行きます。
亡くなった当時は、その道は、悲しい道でしたが、今は、そう、思わなくなりました。
今はTさんが待って居てくれます。何歳かお姉さんです。
かわいらしいしぐさの女性で、私から見ると、ちょっと、羨ましいかな?
でも、Tさんは、Tさん、私は、私!です。
私は、雑草のハコベです。オオイヌノフグリです。チューリップや、水仙にはなれないし、雑草には雑草の役目がきっと有るんですよ。
Tさんの料理を、頂いて来ます。そして、沢山、お喋りを楽しんできます。
後、あちらは、野菜がやすいので、買い込んできます。
行ってきーます。(*^_^*)