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散歩中に出会った子です。可愛い!
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家のユスラ梅です。
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最初に引き取ってくれた義理の叔父は、私を引き取ったことで、
肺結核で入院していた直ぐ上の姉も引き取らずを得なくなりました。
 
義理の叔父は、最初から引き取っていた長姉と共に、
姉妹全てを預かる事に成ってしまったのです。
 
自分の娘たちもいましたから、開拓地での細々とした収穫では、
自分たちだけでも、ぎりぎりの生活だったと思います。
 
そして、今までのように私だけ自分の傍に座らせる事はしなくなりました。
 
私は姉と一緒という事が多く成り、私がだんだんと宿題もしなくなり、
姉とっしょに遊び呆けるようになり、姉と義理の叔父とは衝突が多く成りました。
 
間もなく私たちは父の生家に行くことに成り、ここから、
転校の繰り返しの始まりでした。
長姉は、中学に成っていたので、野良仕事が出来るという事から、残されました
短いところは、半年、長くて一年という間隔でした。
 
父の生家は、兎に角、ひもじい所でした。
朝、六時起床。
天秤棒を担いでブリキのバケツで水を汲みあげ、
神棚に水をあげて、板の間をすべて拭かなければ朝食は、ありません。
 
食べられても、おかわりは、許されませんでした。
そして、周りが木に覆われた坂道を集団登校で学校へ。
 
お弁当は、一応お持たされていたようでした。
何がおかずだったか覚えていません。
 
運動会などには、弁当は無しでしたから、
皆と一緒にいる事は出来ません。
学校の周りの林の中で過ごしました。
 
山に有る食べられる物は、全て食べました。
ツツジの花は、酸っぱかったですよ。
 
私の仕事は朝の水汲みから始まり、学校から帰ると従兄の子守、
あるいは、風呂の水汲み。
ブリキのバケツで天秤棒を使っても、二十回は往復します。
 
家はてっぺんに有り、井戸は一番下でしたから、
時間はどれくらい係っていたのか、分かりません、
そして、風呂を焚くのまでが、私の日課です。
 
ある時義理の伯母さんが、双子がお腹にいたのに、
大きな桶で一回だけ汲んでくれた事が有りました。
あっという間にお風呂の水が半分になって、嬉しかった事を覚えています。
 
祖母は、姉には何もさせませんでした。
ある時、祖母が孫たちに砂糖を紙に均等に分けてあげていました。
(当時、砂糖は貴重でした)
 
私の分だけ有りませんでしたので、私は、
姉と従兄たちが砂糖を舐めているのを見ているだけでした。
 
そうゆう事は珍しくない事だったので、何もその時の感情は覚えていません。
 
ただ覚えているのは、姉がお前だけ砂糖を貰ってないから、
砂糖を盗んで舐めようと言い出し、姉と二人で、砂糖を舐めた時に、
私ひとりが盗んで食べた事になり、責められ、火箸で打たれた事を、覚えています。
 
姉は、その時にどんな気持ちで見ていたのか。
そうゆう事の積み重ねが、私は、姉が嫌いになっていったのかもしれません。
 
それからは、何が無くなっても私が犯人になり、殴られました。
どうせ殴られるんだから食べた方が良い事に気づき、
干し芋などは、殴られても殴られても、取って食べ続けました。
 
殴られても、お腹が満たされた方が良かったですから。
私は打たれ強く成っていきました。
 
祖母は若い時は、誰もが振り向くほどの美人だったそうですが、
私にはその祖母が鬼に見えました。
 
「イー」っと声を出して、火箸を振り上げて私に向かってくる祖母の姿は、
鬼以外の何物にも見えませんでした。
 
せっかくの美人も台無しです。
自分の経験から言うと、子供は顔の美しさで人を見るのではないようです。
 
どこで判断をするんでしょうかね? 人相でしょうかね?