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「落ち着き先が見つかったから、東京に行くぞ!」そう言って、父は、私たちを迎えに来ました。
 
相変わらず私たちは、ランドセルと風呂敷包み一つです。
家具などは最初から有りませんでした。
鍋と、やかんぐらいは有ったと思います。
布団もありましたが、何も持って行きません。
 
なにしろ、夜逃げですから。
夜のホームで、上野行きを待つ私たち親子。
寒い訳ではないのですが、カタカタ体が、震えます。
 
何回、この夜のホームに立った事でしょう。
上野の駅の13番線、14番線でした。
 
翌日に父たちが住む、東京の板橋に落ち着く事が出来ました。
しかし、父親の暴力が治まっていたわけではなく、
新しい母との、夫婦喧嘩は、凄まじいものでした。
 
どこから見ても、父が悪いのです。
働いたお金を、二、三日で使ってしまうのですから。
継母が看護婦でしたので、継母に、私たちは養われていたのです。
 
私は継母が殴られる度に、継母にすがりつきました。
またこの母にも居なくなられるのではないかと思うと、居ても立ってもいられなくて…。
 
継母は大丈夫だだからと言って、私を抱きしめます。
すがりついている私を見ると、父もあげた手を下ろさざるを得なかったのでしょう。
夫婦喧嘩は何とか治まりました。
 
継母に聞いた事があります。「父と、どうして一緒になったの?」と。 
継母は、故郷の町での知り合ったきっかけを話してくれました。
 
父と継母が別れずにいて、又私も側にいられたら、
今でもお母さんと呼んで、そばに居た事でしょう。
 
中学生は母の実家でしたが、継母は郡山市で行う、体育祭には必ず来てくれていました。
 
私は担任の先生に、お母さんが来ているよと言われて、
席を離れて先生の後に付いて行くと、そこにはあの優しい
継母の笑顔がありました。
 
私は恥ずかしくて、継母が色々話しかけてくるのですが、
下を向いたまま、余り、答えられなくておりました。
 
もっと笑顔を見せて、甘えておけばよかったと後悔しております。
 
元気で長生きしていてくれている事を、願わずにはいられません。
左幸子さんという女優さんがおりました。その方に似た、美しい人でした。