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阿武隈川によく行きました。
ザリガニとカワニシを取って、食糧にするためにです。
ある日姉が、向こう岸に歩いて行こうと言い出し、子供心に、
私はチビだから、無理だろうなと思いましたが、従って行くことに。
金づちなんです。
真ん中に行かないうちに、私は流され始めました。
姉が私の名前を呼びながら、手を伸ばして来ました。
最初は私も姉の手を掴もうと、手を伸ばしましたが届かなくて。
途中で私は、手を伸ばすのを止めました。
流されながら途中で、「ここで死ぬんだなぁ、私が死んだと知ったら、
母は泣いてくれるのだろうか? 私がこんなにひもじいのに、
母は白いご飯を食べているのかなぁ?」とか、そんな事が頭の中でがグルグル回っていました。
そしたら、誰かが私の襟首をムンズと引っ張って、ドンと船に乗せました。
阿武隈川で、砂利を採取している知らないオジサンでした。
「なに、やっているんだ! 死ぬところだったんだぞ!」と、
こんこんと叱られて、向こう岸に下ろされました。
姉の思い通りの向こう岸です。
しかし、かなり流されいるので、家に戻るのには橋が遠くて。
お腹は空いているし、夏ですから太陽がジリジリして、家に着くのが大変でした。
そんな事があってしばらくしてから、家の前の中学校の校長先生と、
姉の担任の先生とが、私たちの所を訪ねてきました。
もう何日も食べていなくて、空腹も感じなくなっていました。
ただ怠いだけで、二人で天井を眺めて、ボーっとしておりました。
校長先生は、学校のそばの自宅に私たちを連れて行き、何かを食べさせてくれました。
何だったかのかは、忘れてしいました。
そして、風呂敷に2合炊き位の鍋に、ご飯と皿におかずを乗せて持たせてくれ、
毎日、校長先生の家に、ご飯を貰いに勝手口に来るようにと言って、帰してくれました。
それから毎日、私たちは、校長長先生の家に通いました。
その間に、施設の話、養女の話などが有りました。
姉は欲しいかれど、妹は要らないとの事でした。
姉は父似で、綺麗な顔立ちでした。私と姉は、まったく、似ていません。
姉が「妹と一緒でなければ、行かないと」言い、養女の話は流れてしまいました。
姉だけでも行けば良かったのにと、思いました。
私はご飯を貰いに行くのが嫌でした。
夕方に勝手口のドアを叩くと、中から、「はーい」と返事があって、
校長先生のお嬢さんが出てくれました。
私と校長先生のお嬢さんは同じクラスだったからです。
私はうつむいて鍋と皿を包んだ風呂敷を出して、奥様からご飯を二食分、
手渡されます。
姉は遠くでそれを見ておりました。
私たちは校庭を突っ切れば早いのに
(当時は、事件も無くて、現在のように警戒が厳重ではありませんでした)
阿武隈川の土手を遠回りして行きました。
夕方の阿武隈川は美しかったです。
宵待ち草(月見草)が咲きだして、川風に揺れていました。
川面は夕陽に照らされて、キラキラと輝いておました。
今でも宵待ち草を見ると、その時の風景が目に浮かびます。
竹久夢二の、「宵待ち草」の唄、大好きです。
生きるのに精一杯で、そんな恋をした事は無いですが、恋をして、誰かを待ってみたいですね。