昨日よりは風が無かった朝ですが、今、また風が出て来て雨戸がガタゴト揺れています。

日本海側の雪、大変な事になっていますね。

カムチャッカ半島では車が埋まるほどの大雪だそうです。

 

寝違いの首は、回復半分といった所です。

年老いた所為でしょうか、治りが悪いですね。

流し台の仕事で、下を向いていると首こりになって辛いです。

 

今日は、ずーっと前に、武見太郎氏が放ったとされる「精神病院は牧畜業者」発言の事についてです。

 

2014年の記事のようですが、人物以外は全然、古さを感じさせないです。

少しは病床数は減りつつあるようですが、まだまだ現在進行形中ですから。

 

私が通院していた病院も、もともと有った病院から、駅近の所に分院というかクリニックを出して、また暫くしたら、その隣にディケア病棟を作って大きくなっています。

クリニックの時は、廃校になった体育館を借りて開院していたんですよ。

儲かったんですね。

 

これからは精神疾患だけでは批判が出て、認知症のほうへの方向転換でしょうか。

私の知人の亡くなられた親御さんも、認知症の方ばかりが入所する施設に入っていたようです。

 

イタリアは1960年代に脱精神病院に舵を切ったんですね。

 

日本の今の状況が書かれていて、認知症の方への移行の病院の言い分も書かれています。

 

興味のある方は読んでみて下さい。

驚愕します。

 

 

転載しましょう。

 

 

「病院経営が一番、患者の人生は二番」でいいのか!

 

 

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年7月号

「病院経営が一番、患者の人生は二番」でいいのか!

大熊一夫

「牧場主」まかせのニッポン

精神病院経営者を「牧畜業者」と呼んだのは、日本医師会に君臨した故・武見太郎である。

 

そして牧畜業者発言を有名にしたのが、精神科の最大の学会が発行する「日本精神神経学雑誌」1970年1月号の学会声明だった。

 

その年、新聞記者の私は、アルコール依存症を装って東京都内の精神病院にもぐりこみ、「ルポ・精神病棟」を朝日新聞に連載した。

にわか勉強で手に入れた資料が学会声明だった。

 

1960年代の末期、精神病院が引き起こしたリ.ン.チ.殺人、婦・女・暴・行、診療費水増し請求……度外れた破廉恥事件の山また山。

事件慣れした私も、これには肝をつぶした。

 

声明文にはギョッとする言葉があった。

「日本医師会の武見会長は、かつてこのような経営者を“牧畜業者”と非難した。

いうまでもなく彼等からみれば患者は牧場に放し飼いする牛か羊と同じという意味である」

 

あれから40年近く経って、私は「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」(岩波書店、2009年刊)を出した。

 

執筆中に、はて、武見牧畜発言は、いつ、どこで、誰になされたものか、という疑問にぶつかった。

学会声明には出典がなかった。

当時の学会関係者から聞いた「大分での記者会見では?」という微弱な記憶を頼りに、1年余探偵ごっこをして、謎が解けた。

 

1960年11月21日午後、大分県医師会館。

武見は、記者会見直前の放談で「牧畜業者」を罵った。

武見と懇意だった大分日日新聞の2人の記者がこれをメモした。

 

放談は新聞記事にならなかったが、4年後の1964年11月25日、別府市で開かれた全国自治体病院学会シンポ「公立精神病院は如何にあるべきか」で同紙の高浦記者が牧畜発言を紹介し、記録が全国自治体病院協議会報に載った。

これが声明に引用された。

 

牧畜発言は1960(昭和35)年だった。

この年の7月から医療金融公庫という病院や医院向けの国家的融資制度が始まったのだが、発言は制度が動き出してわずか4か月後、つまり牧畜業が本格輩出する前なのである。

 

それは年利6分5厘、20年償還の大甘な制度で、創設に最も積極的だったのが日本医師会長の武見だった。

 

日本各地に医師会立病院を立てて、医院と病院で一大治療ネットワークをつくるのが夢だった。

武見構想は一部の県で実現したが、融資制度の威力が存分に発揮されたのは、私立精神病院大増設だった。

翌年から年間1万床、1万5千床という具合に乱造が始まった。

 

誰がこんな増殖を目論んだのか。推理はできる。

時は自由民主党政権の岸信介内閣で、厚生大臣が佐藤栄作派の渡辺良夫。

 

公庫設立委員会委員長は厚生省事務次官・高田正巳で、委員会には武見が入っている。

公庫発足時の理事長に、前厚生省事務次官の安田巌が指名された。

 

融資制度による私立精神病院大増殖を立案したのは厚生省の大幹部、後押し役が自民党の幹部たち。

 

制度発足2年前の1958(昭和33)年には、「精神科の医師は他科の3分の1でよい、看護者は3分の2でよい」とする厚生省事務次官通知いわゆる「医療法の精神科特例」も発布された。

 

この差別政策の責任者である事務次官とは、高田と安田のどちらかだろう。

 

医療行政の動向を、武見が知らないわけがない。

宰相・吉田茂の姻戚で、自民党大幹部である吉田学校の生徒たちは、銀座のクリニックの患者。

 

アカ嫌いの熱烈な自由主義経済信奉者で自民党の医療政策の私的ブレーンだ。

日本医師会に逆らう厚生大臣など「アイヒマン」と公に罵倒した人物である。

 

その武見天皇が自ら率いる医師集団を「3分の1は技術的にも倫理的にも高い集団、3分の1は全くのノンポリ、残りの3分の1が欲張り村の村長」と周囲に語った記録がある。

 

武見は、金融制度に群がる精神病院設立希望者のかなりが、欲張り村の村長であることを初めから知っていた。

それで、親しい記者に一度ならず、牧畜業者の出現を嘆いた。

そして武見の心配通り、日本は牧場だらけになってしまった。

 

1968(昭和43)年、国立精神衛生研究所・加藤正明部長は、外圧で日本精神保健を変えようと試みた。

 

WHOの委嘱を受けた英国の著名精神科医クラークが日本を調査し、政府に「精神疾患永久下宿化の是正」を勧告した。

 

しかし当時の厚生省精神衛生課長・岩城栄一は「落日の英国から学ぶものはない」と、一顧だにしなかった。

 

1992(平成4)年、日本の精神科は36万2千床に達し、今も30万床を超えて高止まり。

かくして、日本と、日本以外の先進国の精神保健の質は、地獄と天国ほどに開いてしまった。

 

そして今、この肥大したベッド数を減ったかのように見せる手品が、厚労省の主導で進められている。

それが「病棟転換型居住系施設」。

私立精神病院の病棟の一部を消費増税分のいくばくかを使って、社会的入院者を社会復帰させたことにする政策である。

 

「社会的入院」は、収容所の大増設をはかった厚生行政と、収容所業に参入した人々のコラボ作品で、はっきり言えば牧畜業者たちの負の生産物だ。

 

大げさでなく、私は、精神病院の住民は現代の奴隷だと思っている。

精神病院や精神科医の圧倒的権力の下で、自由を奪われ、使役に使われ、時に鉄拳やバットの暴力にさらされ、コ・ロされたりもした。

 

これは歴史的事実だ。学会声明にあるような“殺人的暴力”は今日、影をひそめた。

でも「よくて修道院、悪けりゃ監獄」は相変わらずだ。

 

NPO法人全国精神障害者ネットワーク協議会が刊行した「精神障害者人権白書2013年版」。

入院経験者1千人へのアンケート調査には、奴隷たちの屈辱体験が綿々と綴られている。

あるいは大阪精神医療人権センターの数々の報告を読んでみても、修道院・監獄的印象は拭えない。

 

雑居部屋の精神病棟を少々模様替えしたところで、看板の掛け替えにすぎない。

精神保健福祉課長たちは、「社会的入院の方々を病棟で”死なせるわけにはいかない」と喧伝するが、看板付け替えは銭をドブに捨てるようなもの。

 

本当に入院者のためを思うなら、病院の外に、手厚い支援態勢や、世話の人手のかかったグループホームを構築する資金に使うべきだ。

 

「病院から出たくない入院者がいる」と病棟転換推進派は必ず言う。

入院者からアンケートまで取って、そう言わせる。

こんな推進者には、ジャンジャック・ルソーの社会契約論にある言葉を贈ろう。

 

「奴隷は彼らの鎖のなかで全てを失ってしまう、そこから逃れたいという欲望までも」

「社会的入院者のほとんどは老いてしまった。放っておいても年に2万人位が死亡退院になり、数年すれば社会的入院は消滅する」と事情通は言う。

 

でも、時間が迫ってきたならば、なおさらのこと、「病院の外の、人間らしい暮らしの中で死なせたい」と考えるのが、まっとうな人間だ。

 

近い将来、病棟転換住居で大勢が他界するなら、そのあとに誰が入れられるのか。

収容ビジネスに励む面々の、かねてのターゲットは、認知症の高齢者である。

 

現に日本の精神病棟は、新規の精神疾患の入院者が減る傾向にあって、すでに5分の1ほどが認知症だ。

「統合失調症の永久下宿の時代は終わりました。

次は認知症の永久下宿の時代です、牧畜業は不滅です」……なんて、ほんとに、それでいいのか。

 

日本の精神保健には「経営が一番、患者の人生は二番」という病院の都合に合わせた原則があって、これには例外がない。

 

良心的と評判の某私立精神病院の院長に、「なぜ精神病棟に認知症を入れるのですか」と聞いたところ、「職員を路頭に迷わせるわけにはいきませんので」といわれた。

この原則は、世界精神保健界に類のない致命的欠陥を雄弁に物語っている。

 

しかも、欠陥や解決策をオープンに論じることさえタブーだ。

精神病棟の中で働くスタッフや専門職団体が、非道を対外的に訴えようものなら、この業界にいられなくなってしまう。日本社会全体が天動説に支配されているようで、火あぶりにされまじき攻撃を受けるのである。

 

 

「アベルの園」を一掃したイタリア

ここで、“地動説”の典型とも言えるイタリア精神保健改革の話をしよう。

その昔、イタリアにも精神病院があって約12万人(人口は日本の約半分)が収容されていた。

 

1961年に精神科医フランコ・バザーリアがゴリツィア県立精神病院の院長に就任してから改革が始まった。

 

詳しくは、拙著「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」をお読みいただくとして、両国で何が違うのかを簡単に述べよう。

 

まず根源的な違い。

日本は精神病棟ベッドのほぼ9割が私立なのに対して、イタリアはほぼすべてが県立だ。

 

日本のような「牧畜業的経営」「入院者の固定資産化」「経営者一族の私物化」「病院の転売」「業界から国会議員への献金」といった倫理問題は、ハナから発生しない

 

患者の命を値切る「経営が一番、患者の人生は後回し」というふざけた原則は昔も今もない。

 

だから、バザーリアの主張は1961年の院長赴任時から実に明快である。

 

「精神病院は腐臭のする解剖室だ。

入院患者は『物』扱いされている。

彼らは主体性のある『人間』であるべきだ。

ここは治療装置たりえない」

 

紆余曲折あったが、1978年には革命的な新精神保健法(180号法)ができて県立精神病院の全廃が決まった。

 

1999年3月、ビンディ保健大臣はイタリアから精神病院が消えたことを高らかに宣言した。

 

180号法は日本の精神保健福祉法とどう違うのか。

 

1)180号法は「病状確認と保健医療措置は自発的意思によるものとする」で始まる。

診療では『当事者の自発性』が最も大事とされている。

 

2)日本の精神保健福祉法に強調される「自傷他害の疑いで強制入院させることのできる精神科医の権限」が180号法にはない。

精神科医は治安の責務から解放された。

 

3)180号法で強制治療が消えたわけではないが、「怖い強制」に代わって「優しい強制」が登場した。

 

4)精神病院をやめる代わりに地域精神保健サービスを推進し、旧病院の人材をそっくり地域に移すよう促す。

 

5)日本のように、家族に保護責任を押し付ける表現がない。

 

人口28万(現在は25万弱)のトリエステでは、かつて1軒あった県立精神病院(最盛期約1200人収容)の機能が、1980年に完璧に停止した。

 

精神保健の司令塔は、町なかにある24時間オープン・365日無休の地域精神保健センターだ(当初は7か所、現在は4か所)。

 

トリエステ地域精神保健サービスの第1目的は「患者の人生の立て直し」「患者の一級市民化」。

 

バザーリアとその仲間や弟子たちは精神病院を解体する段階で、独自の合言葉を生み出した。

「De=istituzionalizzazione」(デ=イスティトゥツィオナリッザツィオーネ)

これを脱施設化や脱制度化と訳しては台無しだ。

 

私流にいえば、支配・管理・抑圧といった人間の心身を犯す収容施設から犠牲者を解放すること。

私は「脱収容所化」と意訳する。

 

それに比べて日本の病棟転換推進者のおためごかしの合言葉「病棟で死なせるよりも……」のあざといことよ。

では“天動説”に支配される日本で、何ができるか。

 

バザーリアは1968年に、精神病院の醜悪ぶりを、テレビ、写真集、著書を駆使して暴露した。

 

国営放送ドキュメンタリー番組の題は「アベルの園」。

アベルは旧約聖書に出てくる“同胞殺し被害者”の象徴だ。

 

バザーリアたちは社会的な“死”を宣告された人々の集まる精神病院を「アベルの園」と呼んだ。

 

このキャンペーンで、バザーリアのもとに有能な若者たちが大勢集結し、精神保健革命に火が付いた。

 

日本国民は、まだ、精神病院の醜悪な収容所性を理解していない。

まずやるべきは、精神病院の内側から、外側から、実態を国民の目にさらすこと。これしかない。(敬称略)

(おおくまかずお ジャーナリスト)

 

 

転載終わり。

 

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