滋賀県まで釈徹宗先生のお話を聴きに行ってまいりました。
今回も家族総出でお出かけしたのですが、
会場に向かう途中で立ち寄ったアウトレットでゆきのが迷子になったり😨
その後、夫に叱られたひろが店内で号泣😱
まぁ相変わらずてんやわんやで、
遅刻しそうな私のフォローを釈先生にしていただくという。
迷子より号泣より おのれに肝が冷える‼
さらに、なんとか会場について朝からまともにご飯を食べてないコウキ
非常階段で離乳食をあげたりオムツ替えたりバッタンバッタンしてたら、
釈先生が「良かったら楽屋でコウキくん食べさせてあげてください〜」
遠慮という言葉を知らない私。
あがりこんで離乳食をあげてる間も、ひっきりなしにご挨拶のお客様がいらしていて、
(これが噂の楽屋挨拶か😲)
改めてこんなところまで上がりこんでいる自分の図太さに驚きを隠せない中(今更
講演会がはじまりました。
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【帰るところのある人生を生きる】
認知症グループホーム「むつみ庵」をスタートさせてから数年後に発表された映画
「もがりの森」がとても印象的だった。
しげきさん…自身が認知症というだけでなく、奥さんを亡くしたことで生きる気力を失っている
まちこさん…スタッフとして働く若い女性。
自分のミスで我が子を死なせてしまい、彼女もまた生きる気力を失っている
この二人がグループホームで出会う。
映画の中でお寺さんがやってくる場面がある。
いつもは黙ってじっとしているだけのしげきさんがご住職には口を開く
「生きているってどういう意味ですか」
「僕は、生きているんですか」
その問いにご住職はこう答える
「しげきさん、毎日ご飯は食べていますか?」
しげきさんは「はい」と答える
「それ、生きてるってことですよね」
「じゃあ、隣の人と手を握ってください」
しげきさんとまちこさん、手を握り合う
「あたたかいですか?」
「それって、生きているってことですよね」
ご飯を食べるから生きている、というのは「生物として」生きている
しかし「つながっているから生きている」というのは、人類の特色ではないだろうか。
しげきさんは徘徊をする。
山の中に穴を掘って奥さんの思い出の品と一緒に眠る。
しげきさんは帰るところを求めているんだ。
帰宅願望といって、不安やストレスから家にいても「帰る、帰る」ということがある
浄土真宗の教えをいただいている者にとって
この「帰る、帰る」というのは、
「我々はどこかに帰っていく存在なんだ」ということを知らされる。
生き死にに関して、これが正解というものはない。
死んだら終わりと思って生きるのも、
私は間違っているとは思わない。
自分の覚悟で生きる道だから。
でも「帰るところがある人生を生きる」からこそ、
この苦難の人生を生き抜けるという面はあると思う。
どこかで無条件に「おかえり」と言ってもらえる世界がないと、
あまりに私達の人生は過酷ではないか。
苦しいこと、思い通りにならないことの多い人生を私達は生きねばならない。
アメリカではじまった「フリーハグ」
京都と大阪で見たことがある。
看板を持っている若者が、道行く人が希望すれば、その人をぎゅっと抱きしめるというムーブメント。
それを見たとき
現代人というのは
本当に 誠実に うつむきながら
真面目に こつこつ
日々を精一杯暮らしているのに
誰にも無条件でぎゅっと抱きしめてもらえる機会がないんじゃないか、と思った。
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出だしからもう😭😭😭
我が家は今3人子育ての真っ只中ですが、
長男のひろ(8歳)絶賛、中間反抗期。
かれこれ3年(長ッ
最近は5歳も年の離れた妹にムキになって激しく怒り、
ものに当たり人に当たり、もう酷いもんなんです。
私は日常的に3人の愛を一身に受け、
どうしてもどうしても同じようにそれを返してあげることができない中、
夫に「私が出来きらない分、傾聴の役割でいてやってくれ」と話したのですが、
人の話を聞いて気持ちを想像し寄り添うというスキルを致命的に持ち合わせてない夫にそれは無理ゲー(わかってたんだけどね💦)
アウトレットでも、泣いてるコウキを抱っこしながら私、レジで財布を出せなくて、
私からひろに、カバンから財布を出すようお願いしたのに、
夫はひろが私のカバンを勝手にさばくってるように、見えたんでしょうね。
めっちゃ怒鳴ったもんだから、ひろ号泣(そりゃそうだ)
夫はその時見たものだけを切り取って自分でジャッジするからこういうことになるんですけど、
でもそれは私にもいえることで
あんまり毎日ささいな躓きで怒り散らすひろに辟易してたんですけど、
学校ではいい子なんですよ。
先生いわく「言うこと無し」らしくて。
でもそんなわけないですよね。
私の目に見えるのは「ささいなこと」なんだけど、
学校で、彼の社会で
理不尽なことにも笑顔でやり過ごしたり、
いっぱいいっぱい頑張って頑張って、
家に帰ってきて、ささいなことをきっかけにして、そのバケツが決壊してるんですよね。
最近そのことに気付いて反省したばかりのところでして。
で、アウトレット内で人目はばからず号泣する
ひろを、
私も人目はばからずぎゅうーーって抱きしめたんです。
そんなことをほんの数時間前にしてからのこの話。
私は子どもすら無条件で愛することのできない人間なんですが、
釈先生の
本当に 誠実に うつむきながら
真面目に こつこつ
日々を精一杯暮らしているのに
誰にも無条件でぎゅっと抱きしめてもらえる機会がないんじゃないか
という言葉に、深い包容力を感じました。
もうこの言葉自体が、聴いてる私達をハグしていると言っても過言ではない。
先生の視点はいつも、人間に対する優しさが感じられます。
話しが前後しますが、「もがりの森」のお話のまちこさん
自分のミスで我が子を亡くして、
自分も死んだようになって、グループホームで働いている。
私も長女の晴子を自分のミス(だと私は思っています)で死なせてしまったので、
まちこさんは、私だ、と思いました。
しげきさんの「生きるってどういう意味ですか」「僕は生きているんですか」という問いに対する住職の言葉は、
たまたまその場にいてそれを聴き、しげきさんと手を握り合ってぬくもりを感じたまちこさんの心にも寄り添っている、というのが、
この話のポイントなんじゃないかって思いました。
人が人を救うなんておこがましいじゃないかとか、
確かにどうしたってなんともならないことがあるんですよ、でもそれでも、
人は人を救えると私は思う。
私は晴子をお腹の中で亡くして
もうすでに死んでいる娘を産んで、
亡骸がね、全然可愛いと思えなかった。
生きてる赤ちゃんとは全然違って、
赤黒くてふやけてて、頭には破水させた時ハサミが刺さった傷があった。
顔は穏やかに見えなかった。私を責めているように見えた。
この絶望感たるや。
死なせて、産んで、可愛いとも思えない。
自分が、人間の皮を被ったなにか違う生物なのかと思えました。
一度対面してからは、再び棺を開けることがどうしても出来なくて、
退院前に主治医が挨拶に来てくれたときに
「これが私の赤ちゃんだと思えなくていいか?!」と言って泣き叫んだんです。
主治医は
「本当のことなんてわからないじゃないかと思うかもしれない」
「でも、赤ちゃんはお母さんに感謝こそすれど、恨むなんてことは絶対にない」
「僕はそれを信じています」
そう言ったんですね。
私は、先生は今たぶん先生の大事なものを私に分けてくれたから、
この言葉の意味が自分なりにわかるまでは、とりあえず生きてみようって思ったんです。
その後数年間、晴子がどんな気持ちで死んでいったか一生わからないことが自分に与えられた罰だから、
勝手に自分に都合の良い解釈を採用して楽になってはいけないと、自分に言い聞かせながら、
それでも晴子に許されたい、本当は愛していたことが伝わっているのか確認したい
次々に湧き出るは、どこまでも自分の都合ばかり。呆れ果てながらのたうち回る私に
釈先生が言ってくださった言葉
「晴子さんに許されても許されなくても全てを背負って見事に生きましょう」
今でもあの時の気持ちは忘れません。
新しい人生をもらったと思っています。
私は滋賀まで行ってこんなこと言っちゃうんですけね、
全然信心なんてないです。
阿弥陀様がお救いくださる実感なんてないし、
仏道に限らず目に見えないなにかを信じるというのがひどく難しい種類の人間なんですね。
でも。これだけは言える。
あまりにどうすることもできない絶望感に泣き叫ぶ時。
自分の犯した罪を背負いたいのに到底重すぎて、
どろどろの地べたを這いずって顔が泥に漬かってもがいてる時。
私にそれでも生きることを選ばせたのは
「私はそう信じている」と言う人達だったんですよ。
これが慈悲ってやつなんじゃないかな?
(仏教は知恵と慈悲らしいです。)
そして、なにか言葉にしたり、肩を抱いたりすることだけが、寄り添うってことなわけでもないと思うんです。
晴子の出産での入院中に、
いろんな人が肩をさすり「おなかの中の赤ちゃんは分かってますよ!」
「ママの味方ですよ!大丈夫!」
いろんなことをいろんなスタッフに言ってもらったんだけどね、
ある時、病室でひとり身をよじらせて嗚咽する私をただ立ちすくんで見ていた看護師さんがいました。
声をかけるでもなく、手を差し伸べるでもなく。
その方は泣きながら、
「私は子どもを産んだことがないので・・・。お母さんの気持ちが分かってあげれなくて・・・なんて言っていいのかわからないです。ごめんなさい。」そう言って走り去っていった。
私は、嬉しかったんです。
この看護師さんから言われたことがもしかしたら一番嬉しかったかもしれない。
彼女はきっと何か言葉を探したんだろう。
ほんとうは手を差し伸べてさすったり握ったりしようと思ってくれてたに違いない。
でも、できなかったんだと思う。
私がどれだけ悲しいか、スタッフとしてではなく一人の人間として考えたら
とても、なすすべがなかったのではないか。
泣きながら、できることがなくてごめんなさい、と謝る彼女の顔は
こんなに悲しい人を前に自分は無力だ、という表情だった。
私は、それが嬉しかったんです。
釈先生のお話の中にお知り合いのラグビー選手のお話がでてきました。
とりにくい形のボールだからこそ心をこめてパスをする
心のこもったパスなのか、雑なパスなのかは分かる、
といったお話でした。
心のこもらない言葉やボディータッチより
「わからなくてごめんなさい」と言うことが、
実は1番寄り添っていることになることもあります。
要するにどう行動するかじゃないんですよね。
もっというと
私は例えば何か爆発したとか事故ったとかで
腸が飛び出て今にも死にそうなとき、
離れたところで「大丈夫、救ってもらえますよ」と言われるより、
駆け寄ってひざまずき私をかかえて腸を一生懸命お腹に戻しながら、
私の血で自分が染まることも厭わず「私がなんとかするから!」と言われて死にたいという気持ちがあります。
飛び出た腸を押し込まれても身体は、命は救われないですよね。
そんなんわかってるんです。
人ができることなんて、本当に限られてる。
どうにもならん現実に立ち尽くす時、もがくとき、
私は、その悲しみを痛みを本当に本当に自分のことのように思う誰かの心が、
その人を救うって、あると思うんです。
これは後の話にも大いにかかってくることだったので、また後でも書きます。
釈先生は絶対にそんな意味でおっしゃってないと思います😅
あくまで私の受け取り方です💦
まだまだ続きます。(長いよ?)