晴子ちゃんはどうして亡くなったのですか?
お母さんが死なせたとはどういう事ですか?と、
何通かメッセージをいただきました。

晴子と私の話をすると、とても長いのですが、

もし聞いていただけたら嬉しいので、
当時の記録をこちらにのせてみます。

もしかしたらちょっとショッキングに感じるかもしれませんので、ご注意ください。

2013年12月、妊娠33週での出来事です。

《2013/12/9》

その日は義母に長男ひろ(3歳)を預け、車で出かけていた。

子どもを夜まで預けて出かけるなんて、はじめてかも。

友達と一緒にあるイベントに参加する予定だった。

一人で車に乗るのもひさしぶり。

いつも、ひろにせがまれて新幹線のDVDを流しながらの移動になるのだが、

今日は音楽が聴ける!

ご機嫌で昔、結婚式用に作ったBGMを歌いながら運転した。

お腹を触りながら、ママの歌声で寝たかなぁ、なんて思いながら。

《胎動カウント》

会場について、ふと気がついた、

今日はおとなしいな、

しばらく駐車場で安静にしてみるが動かない,

友達と合流し、先にお昼ご飯を食べた。

ご飯を食べるといつも動き出すのに、動かない。

会場に戻って座って胎動カウントしてみた。

動かない…

私は冷静だった。

たぶん、直感で気付いてた。

お腹がつめたく、生を感じなかった。

イベントがはじまった。

《病院へ》

イベント開始後も何度かトイレに行って、お腹を揺すってみたり。

今から病院に行きたいなんて、友達は心配するだろうか、

友達だけでなく、友達のお義母さん、お姉さんらも一緒だった。

もし、赤ちゃんが亡くなってたら…

いそいで行ったってしょうがない、

この時は何故か変に冷静で、どうすれば迷惑かけず、心配かけないかばかり考えていた。

結局、友達にだけ事情を説明して、

ご家族には預けた上の子どもが調子崩したとかあまり心配かけないよう伝えておいて、と、お願いして

はじまって間もない華やかな会場を後に。

すぐ、車で病院にむかった。

車の中でずっとはるちゃんを呼んでいた。

たいしてお腹に語りかけをしてこなかった私。

この時は、はるちゃん、はるちゃん!起きて!大丈夫?

はるちゃん!はるちゃん!!

もっとお話ししてあげればよかったね。

もう、はるちゃんには聴こえてなかったんだね。 

《子宮内胎児死亡》 

病院について、旦那に電話。

旦那は会社にいたが電話に出られた。

赤ちゃんが動かない、

これだけ動かないってことはなにもないってことはないと思う。

なにもないといいんだけど、

とにかく今から病院行く。

待合で、ずっと手を組んでお祈りした。すぐに主治医に呼んでもらえた。

胎動がないことを伝えると。

『ごくたまに心配なケースもあるのでいちおう見てみるね』

沈黙の末、

赤ちゃん心臓動いてないね…

身体が凍りついた。

どこかで、その事実を私は分かってた。

認めたくないから病院で、この言葉を聞くのが怖かった。

じっくり見てもらってもやっぱり。

エコーにうつる赤ちゃんは私の知ってる赤ちゃんではなかった。

赤ちゃんは水頭症だと言われていた。

先生『脳の水も前回と比べて大きくなってないし…これが原因ではないとおも…』

『そんなんどうでもいいよ!先生!赤ちゃんはもうだめ?もうだめ?わたしどーしたらいい?』

診察室が沈黙につつまれた。

私は身をよじらせて泣いていた。

《入院》

待合で待たされた。

たぶん、ボロボロの私をみて周りの妊婦さんはただならないことかあったとだと気付いてしまっただろう。

視線を合わさないよう下を向いて、小さくなって座った。

この時の私がなにを考えていたのか、よく覚えてない。

旦那に、赤ちゃんが死んじゃったとだけメールした。

しばらくして旦那から電話があったが、なにを話したかもあまり覚えてない。

今日から入院になること、出来ればすぐきてほしい。ひろのこと。

両親には旦那から連絡してもらった

看護師さんの配慮で個室に呼ばれた。

入院の説明などがあったが、

まだなにも考えられず、ひたすら頭がストップしていて、どうでもいいようなことを考えていた

このあと旦那がきた時のこととかを、やはりあまり覚えてない。

旦那は、残念だということと、私のせいではない、ということは言ってた記憶がある。

病室は緊急用の個室を用意してくれた。

主治医から、無痛分娩を提案された。

背骨のところに管を入れて分娩前に麻酔を注入するという方法だった。

少しでも苦痛がないように、という配慮だった。

手術室に運ばれ背中に麻酔をして管を入れた。

まさか生まれてはじめての手術室が今日になると思わなかった。

分娩室ではなく、手術室。

明日から陣痛促進剤を投与。

今日は他になにもしないのでゆっくり休んでください。

眠剤もだしておきます。

痛み止めも出します。

なにを飲んでもいいので。と言われた。

それまでは薬どころか、コーヒーや緑茶も制限していた。

そうかぁ。もうなにを飲んでもいいのか…

そうおもった。

夜になり

なぜ赤ちゃんがいなくなったのか理由を考え始めた。

実は1ヶ月前に赤ちゃんに水頭症が見つかった。

すぐにMRIを撮り、結果、脳を圧迫しているわけではないので、
病的なものでなく個性の範囲内の可能性が高い。
ただ、素人目から見ても、先生が見ても、大きい。水の範囲が大きい。

実際のところは生まれてみないとわからないと言われていた。

なんともないか、脳に障害があるか。

赤ちゃんを信じたい気持ちより、

一生寝たきりの子だったらという不安が勝ってしまった時があった。

その時に旦那に、元気じゃないなら生みたくない!と取り乱して泣いたことが一回だけあった。

私はそれをはるちゃんが聞いて空に帰ってしまったのではないかと思った。

だから神様はこれは罰ではなく、

むしろ貴方が望むようにしてやったじゃない、なにを泣いているの?と呆れているのではないかとすら思えた。

水頭症が見つかる数日前、突然引っ張ってもないのにネックレスが切れ、

それから数日後、ひろと友達が写ってる写真入りのキーホルダーも突然切れて落ち、

そのあとひろが今までにない強い喘息発作で入院、そして退院後水疱瘡。

そのあと赤ちゃんが亡くなり…

今まで因果応報など信じず生きてきたが、

根底から覆えされるような事がたて続けに起こり、

これからどうやって生きていけばこんなことにならないのかと思うと

この先どうしていいかわからなくなった。

私はとにかくひろのことを考えていた。

夜迎えに行くって約束してばあばのところに行ったのにまさかお泊まりになるなんて。

ひろの笑い声、ひろの顔、そればっかりがずっと頭の中にあった。

何故かひろまで失うような恐怖に取り憑かれていた。

なにかの罰が下ったのだったら、

これ以上は許してください。

私を許してください。