私はムナイキ伝授会で長崎へ。
電車を降りてすぐ、目に飛び込んできたのは、原爆病院でした。
伝授会では「祈り」について、お話をさせていただき、みなさんと黙祷しました。
以前の私は、「祈り」に対して、宗教的な印象を持ち、日常的なこととは捉えていませんでした。
しかし、スピリチャルなことを学び、神社を巡っていくなかで、祈りは特別なことではなく、私たちはいつでも祈ることができること、私たち日本人は昔から祈りを行っていたことに気づかされました。
私たちは、いつでも、どこでも祈ることができます。
「祈る」ということに抵抗があるならば「想う」と捉えてもいいでしょう。
それは、世界平和に限らず、とても身近な人のことを想うことや自分の現状に対して祈ることでもいいのです。
電車の中でも車の中でも、私たちはいつでも祈っていいのです。
天主堂の中に書かれていたメッセージが印象的でした。
私たちひとりひとりが地球の細胞の一部。
戦争は、自分を攻撃していることなのだと。
戦争の賛否はそれぞれあるかもしれません。
ただ、平和を願う気持ちは誰もが根底にあるのではないかと思います。
メッセージから、あなたも、わたしも、もともとはひとつの存在であるということを受け取りました。
目の前の人を攻撃することはどんな意味があるのだろうか。
式典準備中でした。
これは平らけく安らかにと平和を意味しています。
この像を見ながら感じていました。
私たち人間は、他人との差をつくりたがるものだと。それは優劣であったり、正しさの主張であったり。
他人を批判したり、責めたりする必要はない。もちろん自分を責める必要もない。
自分自身がどうあろうとするのか、
どう行動するのかが大切なのだ。
左から見た母の顔はとても哀しそうにみえます。しかし、右からの表情は穏やかに見えました。
戦争、原爆投下によって、たくさんの哀しみや痛みが残りました。
しかし、それだけだったのか、、
私たちに何を教えてくれているのか、
母子像を見ながら、いろんな思いがよぎりました。
長崎という場所は「祈り」を発信していく地なのだなぁと強く感じました。
今、こうして平和に暮らせることを感謝し、平和について祈ります。
ひとりひとりの祈りが集まることで、大きな祈りとなります。
愛と平和の世界を想い、共に祈りましょう。
今日という日もみなさんにとって素晴らしい一日でありますように









