幼い時からの思い出の場所を歩いてみました。
生まれ育った場所は、福岡市西区のお山の麓。
家から歩いて5分ぐらいの場所にある習字教室に幼稚園から20歳ぐらいまで通いました。
こちらは習字教室の先生の家の敷地内にあった千手観音菩薩がいらっしゃる文殊堂。
時々、先生とお参りすることもありました。
幼い時は誰にお参りしているかわからず先生のお話し聞いてたけど、千手観音さまだったんだなぁ。

中学生や高校生の時、習字を何度か辞めようと思ったけど、
硯、墨という道具の存在や匂い、そして筆をもって紙と向き合う空間が好きでした。
今思えば、紙と向き合うその空間は、自分(=自分の中にある神性)と向き合う時間だったのかもしれません。
そして、この文殊堂からすぐそばにある文殊堂もよく習字の先生や妹、友達と歩きました。
文殊堂へ上がる階段、竹林が両脇にあって好きな空間でした。
でも夕方になると怖かったけど・・・
この文殊堂の隣には「知恵の水」と呼ばれる湧水があります。
水タンクをもって汲みに来られる方も多いようです。
その知恵の水から少し山に登ると薬師如来様が祀ってあります。
幼い時、この薬師様にも習字の先生からよく連れてこられました。
こちらは、神社。
「おこもり」という行事があって、弁当を持ち寄り、この社の前にゴザをひいて、
みなで賑々しくご飯をいただくという行事がありました。
祖母や近所のおばあちゃん達とお弁当を食べたて笑って過ごした記憶が
この場所に立つといつも蘇ります。
こうして振り返ると、ごく自然に幼いころから神や仏の前で手を合わせていた子ども時代。
それは信仰心のある祖母や習字の先生の姿をみて育つことで当たり前のことでした。
目に見えない存在は、不思議なことでも、特別なことでもないということを
幼いころから普段の暮らしの中で体験し知っていました。
スピリチュアルという言葉があって、その言葉に抵抗を感じる人もいるかもしれません。
しかしスピリチュアルは特別なものではありません。
初詣には多くの日本人が神社へ行き、誰もが手を合わせてお参りしますし、
食事を食べる時には「いただきます」と誰もが手を合わせています。
日本人として生まれてきたすべての人は、こうした行為の中で
実は自分の中にある神性さをどこかで感じて知っています。
日本人は誰もがスピリチュアルティ(霊性)を知っている存在なのです。
さて、今日は筆を持って硯と墨の匂いを感じてみようと思います♪
It’s 瞑想タイム
みなさまも素敵な時間をお過ごしください



