屋台でサンドイッチとマンゴーシェイク食べてたら、横にいた韓国人とチュニジア人の二人組に話しかけられた。
話してみると、チュニジア人の方はこの後私と同じベトナムに向かうそうだ。
彼は日本で学校に通っていたことがあると言い、ほんの少しだけ日本語が話せた。
山手線の駅なども結構覚えていた。
会話が弾んできた頃、今日このあと日本人の女の子と合流して遊ぶのだが君もどう?と誘われた。
楽しそうだと思った。
でも、気づいたら断ってた。
それは、やっぱり心のどこかで、彼らを疑う気持ち…
観光地で話しかけてきて日本との繋がりを強調してくる人間は信用するなとか、地球の歩き方の後ろらへんに書いてあるような注意事項が頭のすみに引っ掛かってて、行動できなかった。
また、彼らがはなっから詐欺目的であれ、ただのフレンドリーな人たちだったのであれ、日本人女性(力が弱そう、押しにも弱そう)というだけで、一緒に行動した先で危険にさらされる確率は高いので、自分のこの選択は、間違ってなかったと思う。
でも、なんだか悲しかった。
日本人として日本で生まれたということは、その時点で、無条件で、世界のどんな国と比較しても快適で安全な生活が送れるということ。
でも、その分平和ボケしてるから、日本の外に出ればおのずと悪いやつらのカモになる。
悲しいことに私達は、話しかけてくるやつが詐欺師かただのフレンドリーなやつか、自分達の目で確実に見分けられるわけではないので、とりあえず誰にたいしても保守的にならざるを得なくなる。
そして旅先で何か魅力的な誘いがあっても、行動に踏み出せなくなる。
このように日本人が海外で無意識に保守的にならざるを得ないのは、日本人として日本で生まれて快適に暮らせることに対する「税」のようなものなのではないだろうか。
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