息子が生まれてから毎日癒されていて

穏やかな日を送っています。





穏やかな人といると
自分も穏やかになるし

イライラしている人といると
自分までイライラしてしまうし
感情の伝染力ってすごいなと思います。




もちろんイライラしてしまうことも仕方ないし
怒ることも悪いことではありません。
怒りも大事な感情の一つです。


でも、怒りのエネルギーって
相手に伝染する力はあるのに
肝心な怒りの内容ってのはなかなか
相手に伝わりづらいですよね。(苦笑)


最終的に
「なんで分かってくれないの!」

か、もしくは不貞腐れて
「どうせあなたには分からない」

という怒りになります。




この年になると
多少腹が立つたことがあっても
水に流すようになりました。

それは器が大きくなったわけではなく、
単純に戦う体力がなくなったのです。(笑)
自分のために、怒らなくなりました。




許せないという思いで

最も不自由な思いをするは相手でなく自分



怒ったところで相手は変わらない。

吠えたって何も変わらない。

ただ疲れるだけですよね。




怒ることってめちゃくちゃ

頭を使うんですよね。



怒っている時って

記憶の底から過去のこと引っ張り出してきたり

自己を正当化するためにあれこれ繋げたり…


だから怒りって

感情的なようにみえて

思考的なのかもしれません。


考えることが多いとそれだけで

イライラしてしまいますしね。




怒りが伝わりづらい原因って

この思考的な部分にあるんじゃないか

と思います。




嬉しい時は素直に

嬉しいと表現できるのに


感謝している時は素直に

ありがとうと言えるのに



怒っている時は

なぜ理屈責めになってしまうのだろうか?

と思います。





たとえば食べ終わった食器類を

旦那さんが洗い物してくれた時、


忙しいから助かったよ「ありがとう」。

気づいてくれて「嬉しい」。


ちゃんと言葉の語尾に感情がついています




だけど怒っている時は


「私は忙しいのに!」

「なんで気づかないの!」


というふうに終わってしまって主張に

感情が不在なのです。




だから理屈に理屈で対抗されて

言い合いになってしまい

お互い頭働かせることに必死で

聞く耳を持てなくなるのです。





そこで最近私が
意識するようになったのは

不満を伝える時は語尾に
感情を付けることです。



「なんでこういうことするの」ではなく
「こういうことされて『悲しい』」

「こういう言い方がむかつく」ではなく
「こういう言い方は『寂しい』」


怒りはほとんどが
悲しさや寂しさから来るものなので
語尾に「寂しい」か「悲しかった」を
付ければそれだけで伝わり方が変わります。



頭の中というのは人それぞれなので
自分の“当たり前”は相手に通用しません。

しかし「心」は
みんな繋がっています。

だから思考に訴えかけるよりも
心にアプローチしたほうが
相手に伝わるのが早いと気づきました。




答えは突きつけるものではなく
気付かせるもの。


腹を立てるのは自由ですが
それでは何も変わらないし
気持ちも一個も伝わらず、
怒るだけ自分が損だなと思います。


ちょっと言い回し変えるだけで、
そこに感情を付け加えるだけで、
ギスギスした雰囲気から
ちょっと空気が変わります。



実際にやってみると分かるのですが
主張に感情を付けて伝えることで
怒っている状態から自分も少しだけ
冷静になれるんですよね。



最初に書いた通り、
感情には伝染力があるので

自分が発しているエネルギーが
攻撃性のないものになれば
相手も構えを解くのです。




何を言うよりかも
どう言うか。


大体腹が立つのって
言ってることに腹が立つよりも
言い方に腹を立ててることのほうが
多いですからね。



分かってほしいことを伝える時ほど
心配りは必須だなと思います。

いくら許せなくたって
許せないと伝えたところで
相手は変わりません。


特に憎悪に執着して訴えて

相手を変えようとしても

反発されるだけです。





他人は自分の思い通りに

コントロールできるものではありません。



だけど



思い通りに人を動かせなくても

唯一、優しさには人の

“心”動かす力があります。




心が動かされるから

行動も変わるのです。




相手が変わることに期待したら

その関係はおしまいですが

ただ、どんな人でも

人が変わる時は必ず来ます。



その“変わる時”というのは

心が動かされた時なのです。




心の内を話して

心と心で会話してみてください。