ヘヴンズメッセンジャー

縁ちえさんからいただいたお花。



なんとこのお花、枯れたらそのまま

ドライフラワーにもできるお花だそう。



いつも素敵なものを

プレゼントしてくださる縁さん。


縁さんの優しいお心遣いに

いつも感謝しています。






この前のブログ、

沢山のコメントや反応を

皆さんありがとうございました。






その中で、

「徳を積む」について

どう考えてますか?とご質問いただきました。




徳を積む……

私は全然考えたことがなかったです😂





あ、でも前に山頂にある神社に

行くために登山しててそれがあまりにも

過酷すぎて辛かった時に

「今は徳を積んでるんだ」と

自分に言い聞かせたことがあります。(笑)




でも、徳を積むって何かを我慢したり

そういうことじゃないんだろうな

と、どこかで分かっています。




私の考えでは

自分を犠牲にして何かをすることは

「徳」にはなり得ないと思っています。



残念ですが、徳のある人は

自分を犠牲にはしないのです。





徳のある人は

「徳を積んでる」という意識なく、

『ただ自分がやりたかったからやってる』

という意識のもと動いている気がします。





徳とは「善い行いをすること」ですが

この世の善悪は絶対的ではありません。



自分が思った善い行いも、

タイミングや組み合わせ(相手)によって善として

受け取ってもらえないことだってあります。





「善」の基準は自分の中にしかありません。



だから “自分の心にとって” 

善い行いかどうかの見極めが

大事だと思います。






徳とは我慢することではなく、

自らを楽しませるためにするもの



徳を積む

=“心の満足度”を積み重ねる


と考えたら良いと思います。






たとえば寄付をすることが

自己犠牲になったら徳にはなりません。


寄付をすることで

心が満足するなら、それは徳です。




誰かを手助けすること

街中のゴミを拾うこと



それをすることで

心の満足度を得られるなら、

徳を積んでるということです。






あと、

「これやったらいつか良いことが

返ってくるんじゃないか」と思ってやる行為。



「いつか」のために「今」が

犠牲になっていたらそれは無意味です。




「自分の幸せのためにやる」行為は、

その行為をしている最中にあなたが

幸せを感じられているかどうかが大切。





現実は“やまびこ”のように返ってきます。



あなたが今、どんなに善い行いをしていても

心が「苦しい、キツい」と叫んでいたら、

時差でまた別の苦しさが返ってきます。




心から「楽しい、幸せ」と放たれたものは

時差で楽しいことや幸せが返ってきます。




「今」気分が良いことをしているから、

良いことが返ってくるのです。





自分の心が喜んでいると、

その周りにいる人も

幸せな気分になります。



そして周りにいる人だけでなく、

未来の自分も幸せにします。





誰かを喜ばせるためには

まず自分を喜ばせてあげること。



あなたが幸せじゃなきゃ、

誰も幸せになれません。




今、心が満足していればそれでいい。



心が満足することをしていたら、

自然と徳を積んでると思いますよ。




あなたは幸せでいてください、

そしたら私も幸せでいられます。





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