イタリアから帰ってきました。







コロッセオやパンテオン




コロッセオでは過去世の断片が

見えてきて、なかなか衝撃受けました。








圧倒的な景色を毎日見て、

お腹いっぱいで何から

書いたら良いか分からない。(笑)








美術館へ行ったり、

教会へ行ったりするのだから

最低限のキリスト教の知識入れておかないと

楽しめないと思って、


時間が空くと毎日毎日

ずっと聖書を読んでました。






今までざっくりとしか知らなかった

キリスト教のこと、そのもととなる

ユダヤ教のこと、「信仰心」について

考えさせられる旅となりました。





いつの時代も、

人々の悩みとなり求めているのは

「自分は何者なのか」というテーマなんですよね。




その疑問は一人で考えてても

たぶん答えが出てこなくて


多くの人に触れること、

多くの景色を見ることで


“気付かされる”のだと思います。





旅に出て新しい空気に触れると

気分だけでなく考えも変わるもの。


人によっては人生も変わってしまう人も

いるけれど、それは大袈裟ではなく

本当にそういうこともあると思います。




自分の命に託された運命のヒントは

「どこかに」「誰かに」預けて

私たちは生まれてきているんじゃないかな

と感じました。




だからそれを探しに私たちは旅に出る。



旅の目的、人に会う目的は

自分のデータをダウンロードするため

だと思います。




外の世界を見ることで

内にある世界を見ることが出来る。



自分のことが分からなくなったら、

外に出かけたり、人に会ったり、

本当にそれだけで何か

見えてくるものがあると思います。




行く場所、出会う人はすべて必然。


あなたの心が惹かれたものには

必ず意味があります。



自分の心のままに。

心が求めているものを

求めに行ってください。