宮城県の「竹駒神社」に行った時に
書いたコラムが公開されました!



よかったら読んでね✨





竹駒神社のシンボルとなっている
「宝珠(ほうじゅ)」



この形に見覚えある方も
多いんじゃないかな?


伊勢神宮と元伊勢にのみ許された
「五色の座玉」にも似ている。




この宝珠というのは
正式名称は「如意宝珠」


サンスクリット語では
「チンターマニ」といって
チンター(思考)、マニ(珠)を指すらしく
「意のままに願いを叶える珠」
という意味があるらしい。






仏教において
神の図形とされてるこの形。



カミの元である

(火)の形と



(水)のしずくの形



火と水、カミの統合で
すべてを生み出す源の形らしい。



そしてその一滴のしずく(私たちの思考)
同じ形で波紋となって周囲に広がる。




…とまぁよく出来ててすごいですよね。
こういう話好きなのよ私。笑



古代の人たちにとって“神”とは
遠い存在ではなく火と水、

私たちに欠かせないもので
“身近にある奇跡”のことだったようですが、
火と水に神々しさを感じる感性って
凄いなぁと改めて思って……



でもさ
今から2000年…
いやもっとずっと昔、

今みたいに物資に溢れてなければ
電気もない時代、


私たちにとって
「一番大切なもの」

がより見えやすかったのかも。




ひとつひとつ
灯りを消していく

ひとつひとつ
雑音を消していく


無駄な光がなくなった時に
元からある自然の光の美しさに
気付けるように、



私たちも
真っ暗になった時に
自分という光を思い出して

何もなくなった時こそ
本当に大切なものに
気付けるのかもしれませんね





何もなくなった時に
何にでもなれることを
思い出すんです。


奇跡を望まなくなった瞬間、
魔力のような未知なる
自分の底力を知る。


他に何もない時こそ
何もいらない
自分がある 状態です。



本当に大事なものは
自分の内側にあって

見えないし
聞こえないけど


目を瞑って
耳を閉じて

そうすると内側から
自分にしか聞こえない
本音という神の声
が聞こえてくるはずです。








目覚めるのさ
目を閉じたまま


最近、岡崎京子さん原作の
「チワワちゃん」という映画を観ました。
映画のシーンがMVみたいにお洒落だった
↑の曲は主題歌。




若さに任せて
キラキラした何を掴みたくて
光を求めてがむしゃらに走ってる時、

その時すでに自分が
キラキラしてるよね。