我が母校、一関学院駅伝部にエール | 千田工務店の2代目日記

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岩手県で地域密着30年の工務店の2代目社長として奮闘の日々を綴った、少し真面目で少し遊び心があるブログです!仕事好き、旅行好き、ドライブ好き、動物好き、食べ物好き、人が好き、温泉好き、スポーツ苦手…?なB型の次男坊をどうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m


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12月9日、我が母校である一関学院(一関商工)へ17年ぶりに訪問しました。写真は、18歳(高校3年生)当時私が着ていたユニフォームと全国高校駅伝大会17度目出場の初代の『襷』。私自身の宝物でもあったのですが、後輩たちが原点を忘れないようにと母校に返却することにしました。当時、駅伝部の副主将だった私の最後の大仕事といった気分でした。


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1995年(平成7年)12月24日、記録は2時間10分39秒の30位でした。襷には、当時の汗とシワがそのまま残されており17年も前なのですが当時の思い出が少し蘇ってきました。


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当時は、『全国高校駅伝』の文字を見ただけで興奮した覚えがあります。私たちは、全国大会を目指して日々の練習や大会を走っていました。17年連続ともなると、全国大会で如何に戦うかを考えるのでしょうね。


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校長室には、堂々と優勝旗が飾られていました。私が学生の頃は、『校長室』は怒られに行く場所だっただけになかなか行く機会がありませんでした…。我が母校にこんな部屋があったんだ~なんて感動してしまいました。私は、当時特進コースのHクラスでした(※今はDクラスまでだそうです)。特進コースだけ、校舎が木造でして隙間風ビュービューで拷問みたいでした。5教科の平均点75点以上を取らないと部活動を続けてはいけないし、7時間目や8時間目の課外授業もあったので1年生の時はほとんどたった1人で練習しないといけない状況でした。合宿や大会も1人だけ勉強道具持参で、先輩や同級生に笑われたこともあります…。高校の3年間は、本当に完全燃焼でしたので正直二度と戻りたくありません(笑)恩師には、お陰さまでこんなに成長しましたと報告もできたので、また新たな1日を刻んで行こうと思います!


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