自分の立場でしかものを考えれない
これはやはり真実なのかもしれない。
自分で正論と信じて主張していても、他方から見たら脅威だったり。
世の中には正解なんてないのかもしれない。
そもそも正しいってなに?
正しい・・・道理にかなっている。事実に合っている。正確である。道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない。
道理ってなに?
道理・・・物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。「―をわきまえる」「―に外れた行為」 すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。
道徳は?
道徳・・・人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。《道と徳を説くところから》老子の学。
道と徳・・・「道」とは世の中で人が従うべき道のことであり、「徳」とはそれを体得した状態のことである。
ちなみに、
倫理(モラル)・・・人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。
WEBより抜粋↓
・・・17世紀のイギリスの哲学者ロックによると、行為の道徳的善悪は、行為が法に従っているか否かによって決まるが、その法には「神の法」と「市民法」と「世論の法」(「風習の法」)の別がある。神の法に従わない者は来世で罰せられ、市民法に従わない者は法的処罰を、世論の法に従わない者は世間から非難されるという制裁を受ける。(現代は、道徳は通常「世論の法」と認識されている。)
・・・こうした慣習としての道徳は、ロックが世論の法とよぶように、世間の常識に支えられており、なぜそれに従わなければならないかといった反省を必要としない場合が多い。
人として、人が従うべき、というが、それは誰が決めるの?
立場が違えば道理も、道徳も、倫理も、道も徳も変わるんではないのか。
今日、わけのわからないストレステストの結果、福井県の大飯原発の3・4号機再稼動に事実上政府がゴーサインを出したかのようなニュースが報じられた。
その会議の傍聴を希望している反原発の命がけの市民たちの怒り狂った映像が放送された。
必死の市民の抗議は聞こえないかのようにスーツを着た無表情の中年男が何かをしゃべり続けている。
どちらも自分の道理を貫こうと必死。
どちらも自分にとって正しいと思ってることをやっているだけ。
もちろん、自分の利益のことしか考えてない人も含めて。
真逆の道理がぶつかり合っていた。
でも私がおそらく「正しい」んじゃないかと思うことがある。
現代の世の中には強者と弱者がいて、強者はほんの一部に過ぎず、そのほとんどが弱者ということ。
強者の道理が正しいと、いろいろな方法を使って弱者を洗脳する。
弱者の道理を貫きにくい環境を、強者が作り出している。
弱者のほとんどが、自分が弱者と思っていない。
それは世を牛耳っている強者が、弱者に真実を伝えていないから。
これはたぶん正しい(事実)なんだと思う。
それこそ本当に未曾有な状態のこの国。
こんなになっても変わらない。誰が本当のことを知っているのか。
いつ真実を教えてくれるのか。100年後?
なんて情けない。悲しい。ニュースを見て涙が出ました。
これはやはり真実なのかもしれない。
自分で正論と信じて主張していても、他方から見たら脅威だったり。
世の中には正解なんてないのかもしれない。
そもそも正しいってなに?
正しい・・・道理にかなっている。事実に合っている。正確である。道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない。
道理ってなに?
道理・・・物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。「―をわきまえる」「―に外れた行為」 すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。
道徳は?
道徳・・・人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。《道と徳を説くところから》老子の学。
道と徳・・・「道」とは世の中で人が従うべき道のことであり、「徳」とはそれを体得した状態のことである。
ちなみに、
倫理(モラル)・・・人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。
WEBより抜粋↓
・・・17世紀のイギリスの哲学者ロックによると、行為の道徳的善悪は、行為が法に従っているか否かによって決まるが、その法には「神の法」と「市民法」と「世論の法」(「風習の法」)の別がある。神の法に従わない者は来世で罰せられ、市民法に従わない者は法的処罰を、世論の法に従わない者は世間から非難されるという制裁を受ける。(現代は、道徳は通常「世論の法」と認識されている。)
・・・こうした慣習としての道徳は、ロックが世論の法とよぶように、世間の常識に支えられており、なぜそれに従わなければならないかといった反省を必要としない場合が多い。
人として、人が従うべき、というが、それは誰が決めるの?
立場が違えば道理も、道徳も、倫理も、道も徳も変わるんではないのか。
今日、わけのわからないストレステストの結果、福井県の大飯原発の3・4号機再稼動に事実上政府がゴーサインを出したかのようなニュースが報じられた。
その会議の傍聴を希望している反原発の命がけの市民たちの怒り狂った映像が放送された。
必死の市民の抗議は聞こえないかのようにスーツを着た無表情の中年男が何かをしゃべり続けている。
どちらも自分の道理を貫こうと必死。
どちらも自分にとって正しいと思ってることをやっているだけ。
もちろん、自分の利益のことしか考えてない人も含めて。
真逆の道理がぶつかり合っていた。
でも私がおそらく「正しい」んじゃないかと思うことがある。
現代の世の中には強者と弱者がいて、強者はほんの一部に過ぎず、そのほとんどが弱者ということ。
強者の道理が正しいと、いろいろな方法を使って弱者を洗脳する。
弱者の道理を貫きにくい環境を、強者が作り出している。
弱者のほとんどが、自分が弱者と思っていない。
それは世を牛耳っている強者が、弱者に真実を伝えていないから。
これはたぶん正しい(事実)なんだと思う。
それこそ本当に未曾有な状態のこの国。
こんなになっても変わらない。誰が本当のことを知っているのか。
いつ真実を教えてくれるのか。100年後?
なんて情けない。悲しい。ニュースを見て涙が出ました。