人との会話
私は小学生のころから人と話すということが苦手だった。
どちらかというとおとなしいタイプの子供だった。
プラス、とても人見知りで自意識過剰だった。
授業中の本読みに当てられた時なんて、顔が真っ赤っかになりながら読んでいた。
一方、末っ子だったからなのか、何も考えない子供でもあった。
小学校の思い出は、小3、4年の担任がカバみたいな顔をしたおばさん(名前も覚えていない)で、伸びた爪に塗られた金色のマニキュアがやけに怖かったことくらいだった。
中学生のころ、所謂一番イケてるグループに入った。
そしたら、1年も経たないうちに、親友と思ってた子からいじめられた。
しばらくしたら、嫌われたと思っていたのに、急に親しくしてきた。
またしばらくしたら、無視されることが多くなっていった。
中学ではよくある、グループ内でのいじめローテーションに組まされていた。
いじめと友情、それの繰り返しの末、私は気づかされた。
人の気持ちに、絶対はないこと。
そして、正解も不正解もないこと。
自分ではそのつもりもない言動が、相手には悪く伝わったりすること。
そして、自分が傷ついたことでも、相手に悪気はなかったりすること。
それから、私はいろいろなタイプの人と話すことが好きになった。
それは、自分を成長させる糧になるから。
いろいろなタイプ、ポジティブな人、ネガティブな人、イヤミな人、素直な人、優しい人、怖い人・・・etc。
それぞれにそれぞれの考え方、感じ方を持っている。
自分では思いもよらなかった考え方、感じ方に出会うことが度々ある。
それらを理解し、自分の感じ方、考え方の回路に加えることで、どんどん自分の視野が広くなっていった。
視野が広くなると、物を考えるにあたって、いろいろな可能性が見えてくる。
今まで出会った人々から学んだ、個々の考え方感じ方を自分の発想力に変えて、様々な方面から物事を見ることができてくる。
これは、傷つきやすく、両親のネガティブ思考の血を受け継いだ、私の心の防衛策だったのかもしれない。
今でもよく他人の言動に傷つく。
それは、私の生まれつきの思考回路だから仕方がない。
でも今は最終的にはその傷は自分で癒すことが出来るようになった。
それは、その自分が感じたことを自分でそれは果たしてあっているのか?と自問自答するようになったから。
もしかしたら、その人は全く逆の意味で言ったのかもしれない。
その人物の人格なども観察する。
その人がイヤミな性格の持ち主だったとしたら、まぁそこまで深い意味はないだろうと考える。
いろいろなパターンが増えて、自分の中のデータベースから、いろいろな可能性を見出していく。
傷つかなくてもいいかもしれないと思うことによって、気持ちは楽になっていく。
もちろん、考慮の結果、傷つかさざるを得ないことになったら、その時は傷つき、そんなことを言わせてしまった自分に反省する。 そして、人を傷つかすようなこと言ったその人物をかわいそうだと思う。
故に、いろいろな人と会話をし、理解することは、自分の心、人間力を高める一番の方法だと思う。