九十九里浜  智弘院ブログ

九十九里浜  智弘院ブログ

修行体験の出来るお寺です。

法華経の福徳をいただく。
物心両面が豊かになる。

お寺はいつも開いています。
いつでもお待ちしております。


九十九里浜 智弘院HP


 供養会    写経    座禅   祈願


早朝の参拝、読経座禅作務行など体験できます。

 

 

 

静かに自己を見つめ、心身を浄化し、人生を好転させましょう。


 


寺子屋(第1・3土曜日午前8時~)











今日は四十九日忌法要、永代供養夫婦墓の納骨がありました。 

 通夜・葬儀、初七日から7日毎のご供養を経て七七日忌の今日を迎え納骨、智弘院が菩提寺となりました。

 菩提寺の菩提とは、サンスクリット語で「さとり」「めざめ」という意味の言葉に漢字を当てたものです。 

 菩提寺は、「近しい肉親がお釈迦様のようにさとりを得て目覚めるように……」という願いが込められ、先祖や故人の墓所として、お守りされていきます。 

 自分自身が最後眠る場所、そして
仏事、祈願など執り行う場所であり、いつでも相談があるときや、わからないことを教えてくれる場所でもあります。 

 「智弘院さん」ではなく「うちの寺」と呼べるようになったのです。

 智弘院の墓所は、まわりを庭園がかこみ、季節の花が咲き、静かで陽当たりも良いので、とても喜ばれています。 

 父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給うべし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候

 日蓮聖人のお言葉です。 

 子供に迷惑をかけたくない、とよく耳にしますが、親孝行や追善供養は残された子供たちのためでもあり、子が徳を積み、道を開くものであり、仏心を育む大切な行いなのです。 

娘さん家族は素晴らしい親孝行をなされました。



ミセス・トンプソンとテディ                       


教師の愛が問題を抱えた少年の人生を大きく変えたという実話です。


あらすじ

トンプソン先生は、小学校5年生の担任教師です。彼女は毎年、新学期になると教室の生徒全員を平等に愛すると約束しますが、その年にはテディ・ストッダードという名の男の子がいました。


テディは身なりが不潔で、いつも伏し目がち、他の生徒と上手く遊べない問題児でした。

トンプソン先生は、次第にテディの欠点ばかりに目が行くようになり、彼の答案に大きな×をつけて真っ赤なペンで「F(不可)」と書き込むことに何の感情も抱かなくなっていました。


しかし学期末、生徒たちのこれまでの成績を振り返る中で、彼女はテディの過去の記録を見て驚愕します。


1年生の先生:「テディは明るい笑顔を持つ素晴らしい子です。家庭環境に問題があり、将来が心配です」


2年生の先生:「優秀でクラスの人気者ですが、母親が末期がんで苦しんでおり、家では苦労しています」


3年生の先生:「母親の死は彼に大きな打撃を与えました。彼は最善を尽くそうとしていますが、父親は無関心で家庭は荒れています」


テディの状況を知り、自分の行いを深く恥じたトンプソン先生は、翌日から彼に対する接し方を劇的に変えます。


彼女はテディの成績や回答を褒め、彼を心から受け入れました。

するとテディは見違えるように輝きを取り戻し、その年の終わりにはクラスで最も優秀な生徒の一人に成長しました。


その後の奇跡大人になったテディからトンプソン先生宛てに手紙が届くようになります。

卒業、大学入学、そして医師になった際にも、「先生のおかげで今の自分がある」と報告の手紙が届きました。


そして数年後、テディの結婚式に招待されたトンプソン先生は、新郎の母親が座るべき席に座ってほしいと頼まれます。

あの日の彼女の愛が、テディの人生を救ったのでした。


以上があらすじですが、私たちはすぐに決めつけてしまいがちです。


問題行動や表面的なだらしなさの裏には、子どもが1人では抱えきれないほどの「叫び」や「環境の過酷さ」が隠れていることが往々にしてあります。


​たった1人でも、自分を無条件で信じてくれる大人がいれば、人はどこからでも強くなれるのです。


​この夏も智弘院では子供修行を開催しますが、いろいろな家庭環境、境遇の子供の申込みがあります。


子育てに関わる親、そしてすべての大人にとって、大切な視点を与えてくれるこの話、常に胸に刻んでおきたいものです。



兵奴(ひょうぬ)の果報ならん

 日蓮聖人『立正安国論』の中で引用される『仁王般若経』の言葉。 ​

 経文が説く「兵奴の果報」とは、まさに人間の尊厳が根底から奪われた姿です。 
 自分の意志や幸福は一切認められず、ただ戦いの道具、権力者の駒として使役され、生殺与奪の権限を上官に握られ、命の重みさえ否定される、人間として最大の不幸です。

 ​現代世界では今なお覇権争いや経済圏の奪い合いによる不条理な衝突が絶えません。
 国家の思惑やエゴの裏側で、多くの人々が家や日常を奪われ、現代の兵奴として人生を翻弄されています。 ​

 私たちの身の回りでも、他者との際限のない競争、誰かに生殺与奪の権を握られたかのような息苦しい労働環境、情報に振り回され、自分自身の幸福を見失い、貪りや怒り、愚かさに支配された不自由の姿があります。 

 汝(なんじ)早く信仰の寸心(すんしん)を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ と​聖人は叫ばれました。 

 法華経の信こそ、 ​自分で自分の幸福をつかみ、互いの生命を敬い合える、本当の楽しみのある人生があります。 
それは聖人の説かれた「立正安国」の精神なのです。