いまさらながら…

だけどやっぱりさくらは残しておきたいです♡ハイ


今年のさくらつづき




夜クラスのあとに向かった南湖神社さん
拝殿の灯りがさくらの花びらにひかり


樹齢200年超えの紅枝垂れ
灯籠の灯りがまた目がハート飛び出すハート


拝殿あやしげに浮かび上がる泣き笑い笑い
夜の神社さんてこんなときしか来ないから


ちょっとめずらしく
ちょっと浮世離れ好き♡闇に弾むココロ


麗しく芳しい
小花が連なり夜の風


藍色の闇夜にさくら
月ぽっかり


ほんの数ヶ月前のことなのに
懐かしいなぁ


さくらが咲いたのが随分昔に感じる
今しがた、にわかの天気雨 虹カエル


こっちは翌日
友人と散歩した南湖のみずうみまわり


ソメイヨシノがいい頃合い
こっちのベニシダレはまだ早かった


鴨がたくさん
曇り空


白っぽく見えるね
咲いてから少し経過した頃だったかな?


南湖の正面には

ショウゾウさんやお洒落なわらび餅やさんも出来て
連日賑わいを取り戻し


若者や家族連れ、犬の散歩の方々も
なんかうれしいニコニコ



メンタルモデルはじめて
こころの中しっかり覗くよになり
グルノートもはじめたら
連日気付きがビシバシやってくる

俯瞰とか客観視とかって言葉では知っていたけど
こういうことなのかと
ちょっとずつ腑に落ちるよな体験がやってくる

それは心地好いものばかりじゃないどころか
むしろ見たくないよな
後ろめたいよな自分とか恥ずかしいよな自分とか
そんな自分と対峙することがより常で

以前はこれ来ると
無意識に意識反らしたり避けよとしたり
見ないよにしてきたけれど
ここ見れるようになったってのが大分大きいニコニコ

つか、
何十年もヨガやってきたのにこんなにしっかり
自分のこころと向き合っていなかった
むしろ避けてた。ほんと顔そむけ見ないフリしてた

つか、
こころと向き合うっての自体勘違いしていたと思う
正しくあるをやっていただけだった

正しさなんざ、
誰かが勝手に決めたたわいもない「線」で

そこに正義と悪という分別をつけただけの
ほんと中身のない
人踊らせるためのただ「線」でしかない

俯瞰できたときにはじめて感情が離れて
そのときにアイデンティティーも外れてる
思いや考えいわゆる思考に流されているのと
意識に在るときの違いがようやく少しずつだけど

見ることでより見える、奥入れるというか…
ただ、わたしが知ることなんざ
ほんと一部でほんの一部
そこは肝で 

“知らない” こと自覚しながら進みたい
“わたしは何も知らない” し “知っていない”
これ肝入りしておくと着実な一歩に繋がるなと
フワフワと浮かずに済むなと、そう思う

さくらの季節は短いね
短いからこそ濃くて鮮やか♡印象に最大限残る