おはよう、朝
春が来るのが早すぎてついていけていない…😅

もりもりのゴリラが迎える


風水の庄・石南花苑
昨日の様子


小ぶりだけど
けっこうな数の株


落ち葉を踏む音
林の木々の合間もうまい具合に整えられ


差し込む光やなだらかな高低差
ほんと画になる


子牛が2頭ほっこり


ショウジョウバカマ


珍しい白も


鯉跳ねる音


イワウチワ


これけっこうウケた…😂
木の陰にまん丸タヌキの冷静な顔


身近な人の痛みに触れて
気付くと気持ちがそっちにいっちゃって
泣けてくる

そんな日が2日ほど続き
2日目の夜にやさしさや愛情が自分の中から
ぐわ〜っと、湧き出るのに気付き

こないだの講義のワークで見ていった
親から受けた愛情のところ
「なんだ、めちゃめちゃ愛情受けてたじゃん」て
気が付いた

そして、
あの人の痛みもこの人の痛みも
あるんだなー、そうなんだなーって
腑に落ちる感覚がきた

その時に
不安・恐怖のレンズから見たときの世界への怖れ
外界から何かがもたらされるっていうような
ここに居ての漠然とした恐怖感が消えた

あの人もこの人も傷付いていて
みんな一緒だ
と思えた

このとき自分を包んでいるものは温かい感覚で
それが内だけでなく外にも広がっていた
世界がとても安心安全なものに思えた
ただ、ずっとは続かず

でもこの安心感もしかしたら常にあるのだろうか?
それを覆い隠すよな心模様が広がったときに
逆にそっちが隠れちゃうのだろうか?と

こないだの講義で
「ああ、わたし被害者意識から見てるんだ」って
気付きがあった

被害者意識は幼児性の衝動で
世界がこうしてくれないからわたしは不満  
世界がこうしてくれたらわたしはしあわせ
みたいな

[不満]と
“与えてほしい” の[欲求]とが同時に走るようだ
そして相手を攻めることで決着をつけるというか
落とし所がそこになる

しかし、[相手を攻める]をしているということは
なんらかの形で[自分を攻める]もしているはず

この被害者意識、幼児性の衝動に気付くことで
それを外の世界に求めず
自分自身で創り出す方向に見方を変えていけたなら

自分自身を救い出せるんじゃないか
この現実を変えられるんじゃないかと思う

外に求めるんでなくって
自分に求めるってことが鍵のようなびっくり
その鍵、手に入れようカギ飛び出すハート