布引山の向日葵で綴る | 難しいことは分かりませんが
こんばんは(´∀`)ノ
チコです
9月6日の風景
平地は太陽が出ていたこの日
高地は雲がかっちゃってどんより (( ´Д`)
この日の気分もこんな感じだったかな、

今回自分の中の整理のためだけに綴るので
文面無視して写真だけ流してもらっても🙆
おそらくオチはないです、ハイ…

普段はほぼほぼしあわせ感じられていて
充実生活送れるようになったけど
たまーに沈むような停滞の時期がある

毎年必ずといっていいほどきていた夏バテ
今年はなくて安心していたところに
八月末辺りから十日程ヤル気ない時期到来

最たる原因があった訳でもなく
強いて言うならゴミが溜まったみたいな

煩悩のレコード回しすぎちゃったかな

みたいな

それでも
自分のことは大分扱えるようになってきて
真理と照らし合わせて点検したり
生活見直したりで徐々に戻していけるけど

自分以外となるとなかなかになかなかで
結局のところ「本人次第」と痛烈に感じる
人間関係で悩んでいる友人がいて
去年からちょこちょこ話聞くようになって
先月辺りから「死にたいって思う」と
口にするようになってきた
人から辛く当たられることに相当に
ダメージを受けているってのが前提にあり

と同時に
とにかく相手のことやこうなった原因、
理由など諸々が頭の中延々リピートしてる
よに見えて(トラウマレベル程の反射反応)

なんとかそこ気付いてもらえないかなと
あれやこれや品変えて話してみるんだけど
己の観念にどっぷり浸かってしまっていて
暖簾に腕押し、糠に釘(´д`|||)

結局私も
話聞くことと勇気づけ位しかできなくて
「死にたい」って言葉に出す程だから
本人の苦痛は限界を越えているのだろうが

これ聞いてる方もまあまあ堪える…( "´_ゝ`)
同情で解決するとは思えないし
自分までココロ乱したら本末転倒なので
そこはしかと保ちつつ

見守るしかないのかなーと
聞くのが嫌とかそういうんではない
この世界で生きている以上、山籠りの仙人
でもなけりゃ~必ず他との接点はある訳で

ただ、曲がりなりにもインド哲学を学び
ココロの仕組みなどを知れば知るほど
無意識に繰り返されるココロの声(煩悩)に
(自分含め)人間が日々、
どれほど影響を受けているかがよく分かる
ココロの声(煩悩)が大きくなればなる程に
落ち着かなくなり、原因や理由や解決法や
諸々を "外側に" 探し求めて散らかっていく
一面真白に広がった蕎麦の花の風景も
天鏡台から見える猪苗代湖の姿も
布引山の向日葵もどれも見事で美しかった
思わず靴脱いで芝生の上を裸足で歩いた

