悲しい涙と嬉しい涙 | 娘と共に。

娘と共に。

2017年5月(13才)起立性調節障害(体位性頻脈症候群)と診断された娘が2021年2月(17才)脳脊髄液減少症と判明しました。1回目のブラッドパッチでは回復せず2021年11月に2回目、2023年1月に3回目、2023年9月に4回目をやり良くなることを信じて頑張っています。

昨日は成人式だった。


着付けが終わる時間に次女家族が


会いに来てくれた。


最初から式には出ない予定だったので


友達を探すために会場付近をウロウロ


してたけど誰にも会えず中学時代に


お世話してくれた子に連絡を取り


少しだけ会って話すことが出来た。


友達と別れた後カフェで少し休んでから


整体院へ。

師匠に振袖姿を見せて帰宅。


帰宅して軽くご飯を食べてから

同窓会の準備。

3時間も時間があったのにバタバタ💦

出る直前にネイルチップが取れたとか

なんだかんだとうるさかったぼけー

 
4時半に家を出て(旦那送迎)終了予定時間の

8時になっても連絡がなくようやく連絡が

来たと思ったら「二次会に行く」

言うので「なるべく早く帰ってきな」

と返信。

10時になっても連絡がないので

「自分で帰れるみんなはいいけど

〇〇はお父さんに送迎してもらってる
 
んだから早く帰るべき」とLINEしたら

「今から帰る」と旦那が迎えに行って

帰ってきた。

私だけじゃなく長女と次女もすごく心配

してて娘が帰ってくるまでずっとLINEで

やり取りしてた。


中学時代の友達と


風が強くて寒かったけどとても楽しく

過ごせて体調も悪くならず帰宅してから

嬉しそうにいろんな話をしてくれたけど

私と娘の心に湧き上がった1番大きい感情は

悲しみだった。

何も出来なかった娘の6年8ヶ月と

みんなが過ごしてきた6年8ヶ月は

あまりにも違いすぎる。


「みんなキラキラしてていいなって

思った、学校にはほとんど行けなかった

のにみんなすごく優しいの」


「本当はもっと学校に行きたかった

みんなともっと思い出を作りたかった

みんなみたいな生活がしたかったのに

何も出来ないまま20歳になっちゃったえーん

みんなに会えて嬉しかったのに悲しいの」

「ママも同じ気持ちだよ

成人式に行けたことはすごく嬉しいけど

帰ってきたら悲しくて何で悲しいのか

考えてみたらみんなと〇〇があまりにも

違うっていう現実を知ったからだった

もうこの6年8ヶ月の差を縮めることは

出来ないよ、だからみんなに追いつか

なくていい、〇〇は自分に出来ることを

すればいい」

娘はしばらく泣いてた。

泣きたい時は泣けばいい。

その気持ちを我慢する必要はない。


家の中で過ごす毎日は辛いだろうから

今の体調ならバイトに復帰出来るから

早く復帰してこれからはどんどん人と
 
関わった方がいいと話した。


「長い間こんな生活をしてきたから

簡単には抜け出せないし

世の中に出ていくのが怖いの

「そういう気持ちを受け止めて待ってて

くれてるのが今のバイト先でしょ?

最初は1時間から始めればいい

人と関わっていくうちに慣れるから

ママはうつ病だった時毎日出来たことを

数えて自分を褒めてた、そうやって
 
少しずつ自信を取り戻したんだよ」


6年8ヶ月の間ほとんど人と関われずに

家で過ごしてきた娘の心は13歳の時の

ままらしい。

脳脊髄液減少症という病気に中々たどり

つけなかったしたどりついたところで

そう簡単には良くならない。

一昨年これでもう大丈夫と思える程

良くなったのにまた動けなくなったから

また同じようになるんじゃないかと

怖くなる。


命に関わる病気ではないけど

すぐに良くなる病気でもない

完治するかどうかもわからない

それでも生きていかないといけない

じゃあこの病気を抱えてどう生きるのか

自分に出来ることは何なのかを

とことん考えていつかあなたが答えを

見つけ自信を持って語れる人生を歩んで

くれることを心から願ってる。



1月8日は私たちにとってとても大切な

日になった。

心の中にある様々な感情と向き合えた日

本音で話し合えた日

そして自分がこれからどうしたいのかを

娘が本気で考え始めた日



先に帰った娘にクラスのみんなから

「ありがとう」

というボイスメッセージが送られてきた。

「来てくれてありがとう」

みんなの温かい言葉を聞いて娘は

泣いてたし私も泣きそうになった。

悲しい涙と嬉しい涙が入り交じって

忙しかったけど幸せだった1日。

娘を温かく迎えてくれて本当にありがとう!